ソニーインテグレートステレオアンプ TA-F555ESA
平成5年 1993年4月25日に我が家にやってきた。
爾来、今日まで実に24年間、嬉しいときも悲しい時もいつも一緒だった。
数年前から体調を崩していた。
まず、パイロットランプが点かなくなった。
ポリュームを回すとガリガリと音が出るようになった。
マッサージやストレッチをしたのだけれど、完治には至らなかった。
SOURCE DIRECTにしないとぐずるようになった。
そしていよいよ終末期を迎えた。
まっすぐに歩けないようになったのだ。
右に左にふらふらとよろめいて、もう、休ませてくださいって言っているようだった。
弱ったり壊れたパーツを交換すればまだまだ働けるようになるのに、医者はもう手の施しようがないと、さっさと匙を投げた。
明日、役目を終えたものたちのところへ向かう車が来る。
170722 難民だらけ日本
変見自在 高山正之
難民だらけ日本
テレ朝に出ていた元共同通信記者青木理が「難民に冷淡なエセ積極的平和主義」という一文をどこかのオピニオン誌に載せた。
欧米諸国は曲がりなりにも人道主義に沿って中東からの難民を受け入れているではないか。
「翻ってわが日本」の安倍政権はどうか。
人権、人道を語りながら難民に冷たく何もやっていない。
「昨年は5000人の難民申請に対して認可したのはたった11人」じゃないか。
共同通信ではソウル特派員もやった。
植村隆と同じくらい偉い人らしいが、それにしてはやたら罵り言葉が多い。
それに日本は難民問題に「全く無策」とかあまりに無知が過ぎる。
日本はその昔から難民の天国だった。
彼が駐在した朝鮮半島からはもう嫌になるほどの難民、それも自分の祖国では望めない人間らしい暮らしを求めた経済難民がぞろぞろきている。
始まりは1910年の日韓併合だった。
あのころの朝鮮はパプアと同じくらい未開で、荷車1台、染物屋1軒なかった。
資源ももちろんない。
でも日本は植民地にしないで内鮮一体、つまり今のEUと同じに国境を外し、日本人と同等に扱った。
結果、ぞろぞろ200万が日本にやってきた。
中東難民とそっくりだ。
おまけに中東人と違って感謝の気持ちもなく、心も邪だったことを関東大震災の時に示した。
あのとき地震に伴う火災は浅草、本所など下町に集中した。
ところがそのあと火の気のない越中島が燃え、さらに内幸町や金杉橋、千住などで1日遅れの出火というか不審火が続き「暴徒が略奪と殺戮をほしいままにした」「何人かは鼻を削がれていた」(加藤康男『「朝鮮人虐殺」はなかった!』)。
日本の歴史に徒党を組んだ火事場泥棒はいなかった。
「鼻を削ぐ」風習もない。
何より暴れた朝鮮人が多く捕まってもいる。
戦後の在日の行動を引用するまでもない、彼らは決して性質のいい難民ではなかった。
それでも日本は内鮮一体をやめなかった。
日本人さえ我慢すればいい。
戦後も彼らは気ままに日本にやってきた。
太陽光パネルで儲けた孫正義の父も在日特権を知って戦後にやってきた一人だ。
李承晩は赤い済州島を嫌って島民皆殺しにでると数万人が日本に逃げた。
日本は黙って受け入れてやって、彼らは生き延びた。
200万を超えた在日はマッカーサーが半分以上を追い返し、朝日新聞も「北朝鮮は地上の天国」と書きさらに10万を送り返した。
それでも韓国からの経済難民、不法入国者は後を絶たない。
支那も同じ。
最初はベトナムのボートピープルを装って福建から漕ぎ出し、日本に流れ着き、居座った。
今の主流は残留孤児や帰化支那人の親族を装って潜り込む。
その数は在日を上回る。
日本で暮らせることを感謝もしないで犯罪に勤しみ、刑務所収監者数では在日と常にトッブをきそっている。
日本は世界のどこもが入れなかったユダヤ難民まで受け入れた。
日本本土はもちろん満州国にも、上海の日本人租界にも入れた。
上海に入ったユダヤ人は3万人近い。
のちにカーター政権の財務長官になったブルメンソールもその一人だった。
ドイツはヨセフ・マイジンガーを派遣し、ユダヤ人を廃船に詰め、長江に沈めろと命じた。
日本は彼を諌め、真人間になれと言った。
しかしユダヤ人も朝鮮人と変わらなかった。
日本に逃れたレオ・シロタの娘は日本を「女性の権利を無視した野蛮国」と言った。
ブルメンソールは日本に円高を迫って恥なかった。
この春には思い出の上海を訪れて「私はここで支那人ともども侵略者日本の蛮行を目撃したと語った」と聯合ニュースが伝えた。
それでも日本人は黙って今も300万近い難民を抱えている。
日本はまた長い間、米国を除く国連安保理常任理事国の合計より多い分担金を払って難民救済をバックアップしてきた。
元共同通信記者はそれも知らない。
’15.10.15 の週刊新潮より
170718 支那の新聞か
変見自在 高山正之
支那の新聞か
サミュエル・ハンティントンは『文明の衝突』の中で、キリスト教文化圏とかイスラム圏とか世界をいくつかの文化圏に分けていって、初めて日本を独立した文化圏と認めた。
正確にいうと「独立」というより「他の社会と共通の文化を持たない」「キリスト教や共産主義などのイデオロギーも共有しない孤立国」としている。
彼はまた日本が支那文化圏と別れたのは紀元1世紀くらいと言っている。
それでも例えばトインビーのころの評価よりははるかにましだ。
トインビーは「日本は支那文化圏の傍流の一つで、成立は大化の改新ごろ」としている。
まだ支那のへその緒がついている。
黄色人の文化など一緒くたでいいという横柄さが滲む。
おかげで文化は「支那から朝鮮経由日本」のアホな図式ができて、朝鮮人が偉そうにする根拠を生んだ。
大体、支那が四大文明の発祥地というのも怪しい。
あれは戊戌の政変で亡命してきた梁啓超に、日本人がお前らには大した文化があったと教えた。
それで梁は満州族の奴隷になっている漢民族を鼓舞するために「わが民族はエジプトやメソポタミアなどに並ぶ四大文明を持っていた」とぶった。
「もっと自覚を持て」と。
ユダヤ民族がバビロンの奴隷にされたとき民族意識を持たせるために「神に選ばれた民」とする旧約聖書を編んだ。
梁の一文もまた漢民族にとっての聖書みたいなものだった。
尤も殷、周とかの鉄器文化は西方騎馬民族文化の影響が濃い。
古い征服王朝の文化といわれ、漢民族の王朝が立った途端、文化は急にみすぼらしくなる。
支那の絢爛の文化が咲き誇った唐も清も、みな異民族の王朝だった。
おまけにアステカやインカなど支那よりもっと古く、もっと知性高い文化がいくつも存在することが判ってきた。
マヤの天文学は現代の知識でも解けていない。
こうみると支那にはもともと文化はなかった。
あったとしてもトップ4などお笑い種ということになる。
ハンティントンはそこまでは言い切らなかったが、それゆえに文化のないところにできた日本文化の独自性を認めざるを得なかったのだろう。
ただ、その後がいけない。
この本の最終章では大きくなった支那が欧米と第3次大戦を起こすと予言する。
このとき日本は「狼狽えた挙句、支那に与して欧米と戦う道」を選ぶ。
欧米軍はまず太平洋側から日本を攻め、一方、西側からもロシアと組んで支那を攻める。
ウイグルを解放し、長城を越えて北京は焼き払われ、日本と支那は滅びる。
その後のアジアは豪州が握るという展開だ。
彼はなんのかんの言っても「日本は支那とへその緒でつながっている」という判断をしたようだ。
無理もない面もある。
この本が出たころは朝日新聞も吉田清治もまだ元気だった。
朝日は慶大教授の添谷芳秀に「文化大国支那に対し日本は二流国という選択がある」と書かせている。
へその緒は健在に見えるし、実際、政府も支那にODAも技術も朝貢してお仕えしていた。
しかし大きくなった支那は日系企業を焼き、尖閣も小笠原の赤珊瑚も取りにきた。
日本人は心の底から文化の違いを知った。
いま日本人の8割は支那を嫌悪する。
その辺を読んだ仏ジャーナリスト、クロード・ルブランが「第3次大戦は敵対する日支の衝突から始まる」という小説を書いた。
この本を朝日新聞にでかでか紹介したのが支那万歳を叫んできた論説主幹の大野博人だった。
今ごろ支那の根性が判った、というわけでもなさそうで、日支がぶつからないよう「お互い模擬攻撃や挑発するような曲技飛行をしないよう」注意している。
いずれも支那が過去やった事例だ。
安保法案が通った。
日本は本気だ。
余計なことをするなという支那人向けの警告としかとれない。
そんなこと日本の新聞に書くな。
’15.10.1 の週刊新潮より