変見自在 高山正之
傾国のスーチー
「英領ビルマに侵攻した日本軍はやがてビルマを独立させたが、それは偽物の意味を込めた『金めっきの独立』と呼ばれた。日本軍は国軍・警察の指揮権を握ったままだったのだ」と先日の朝日新聞にあった。
ミャンマーの歴史教科書の記述を引用したという五十嵐誠記者の記事はさらにこう続く。
「憲兵隊が権力をふるい、国民は抑圧された。ファシスト日本を打倒する動きが広まった。アウンサンは連合軍の反撃で敗走する日本に反旗を翻した」
読んでいてふと村山談話を思い出す。
「日本は国策を誤ってアジア諸国を侵略し、植民地支配で人々に多大の苦痛と損害を与えました」というあれだ。
この記事はまさに村山談話通りに展開する。
日本がミャンマーを侵略し、圧制で苦しめて、ついにはアウンサンをして日本軍に楯突かせるところまで追い込んだという風に。
ただし登場するのは日本とミャンマーだけ。
長い間そこを植民地支配した英国の影も出てこない。
で、この記事から少しズームバックしてみる。
英国は19世紀末、ここを征服するとインド人や支那人をどしどし送り込み、英植民地政府の下で金融やビジネスを仕切らせた。
モン、カチンなど山岳民族を山から下ろして軍と警察を任せた。
彼らが取り締まるのは最下層に落とされたこの国の本来の主人ビルマ人たちだった。
「英国は仏教徒ビルマ族の国を一瞬にして多民族多宗教国家に作り変えた」と英国の歴史家ファーニバルが的確に表現している。
この植民地支配に抵抗し、ビルマ人の国を再興しようとしたのがアウンサンだった。
ビルマの英軍を追っ払った日本軍は彼の夢を実現させた。
植民地政府からインド人を追い出し、ビルマ人官吏を育てた。
山岳民族が仕切ってきた警察と治安部隊を解体し、ビルマ人の国軍を創って独立させた。
「金めっき」どころか金無垢の独立だった。
よちよち歩き始めたアウンサンの「ビルマ国」は、すぐ連合国軍の反攻という壁にぶち当たる。
日本軍と行動を共にすれば潰される。
その辺を英側資料で見ると「アウンサンは英国の手先インド人を憎み、日本軍のインド解放戦(インパール作戦)への協力を拒んだ」(マウントパッテン卿『戦後処理』)。
「日本軍の敗勢が濃くなるとアウンサンはヒュー・シーグリム英軍少佐と通じてビルマ独立の保証と引き換えに日本軍を裏切ることを約束した」(ルイス・アレン『日本軍が銃を置いた日』)
小国が生き残るための知恵だった。
日本側もそれは理解し、彼の寝返りを特に咎めたことはなかった。
それだけに日本をファシストと呼び、アウンサンを正義の人に仕立てる五十嵐の記事はほとんど犯罪行為だ。
戦後、ビルマ独立を認めた英国は「英国植民地統治に楯突いたアウンサン」だけは許さず、抹殺した。
英国はまたビルマを多民族国家化した後始末もしなかった。
ビルマ経済は華僑とインド人に握られたまま。
山に戻らない山岳民族も不満分子として居残った。
アウンサンの遺志を継いで”異邦人”の処理に当たったのがネ・ウインとそれに連なる軍事政権だった。
彼が執った鎖国政策も経済活動を停滞させることで華僑が出ていくことを期待したものだった。
彼は新札発行と徳政令も頻繁に行った。
高利貸しインド人が嫌になって出ていくと思ってのことだ。
しかし成果はなく、異邦人は居残り、国は貧乏になっただけ。
「民族復興」を叫んできたビルマ人の間にも不満が噴出していった。
そんな不満分子の先頭に立ったのが皮肉なことに民族主義者アウンサンの愛嬢スーチーだった。
今度の総選挙で勝った彼女は大統領より偉い最高指導者になると言っている。
しかし彼女は父が英国に殺されたことも知らない。
政治も外交も知らない。
そんな女に国民は国の舵取りを任せる。
一度どこかの植民地にされると国も人もここまで錯乱してしまう。
’15.11.26 の週刊新潮より