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Cameraと散歩

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150606 戦争 日本兵たちは インパール

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’15/06/06付け道新こども新聞「週刊まなぶん」の記事から

戦争 日本兵たちは インパール

日本軍は1944年、イギリスが治めていたインド北東部をせめる「インパール作戦」を行いました。軍の中からも「むちゃだ」と反対意見が出ましたが、司令官は聞こうとしませんでした。
しかも、かんたんに勝てると考え、兵隊に食べ物や武器をあまり持たせませんでした。
その結果、約3万人の兵隊がなくなったのです。



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あまい考え むちゃな作戦 3万人がなくなる
少ない食料、武器 ⧸ 命令やぶる師団も


当時、日本はビルマ(いまのミャンマー)を支配していました。
さらに国境を超えてインドにせめこみ、イギリスを追いこもうとしたのです。
作戦は高さ2千メートルをこえるアラカン山脈を登り、300キロ以上を戦いながら歩く計画でした。
日本でいうと、甲府市から北アルプスの山を通って富山市に向かうようなものです。
食べ物は2〜3週間分しか持っていきませんでした。


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「食べ物や武器がなくなったら、山をこえてとどけるのはむずかしい」と反対がありましたが、牟田口廉也むたぐちれんや司令官は強引に進めました。
軍の中心の人たちも、負けそうになっている戦争を何とかしたいと考えて、作戦をみとめました。


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44年3月8日に作戦が始まりました。
山を進むため大砲などの大きな武器をあまり持っていなかった日本兵は、イギリス軍のはげしいこうげきにあいました。
そのうち大雨がふる季節になり、病気の人もふえました。


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約10万人の日本軍はおもに三つの「師団しだん」でつくられていました。
師団は軍隊の単位です。
そのトップである師団長の一人が、作戦が始まって約2週間後に「中止した方がいい」と言いました。


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別の師団長は食べ物がとどかないことにおこり、命令をやぶって引き返しました。
軍ではとてもめずらしいことです。
田口司令官は師団長たちを交代させました。
結局、7月2日に作戦は中止になりました。


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記者は日本軍が通ったミャンマー西部チン州に取材に行きました。
遠くまで山々が広がっています。
塹壕ざんごう(こうげきをよけるためのあな)や兵隊の骨が残っていました。


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作戦に参加した京都市の西川慶三さん(93)は「あんなむちゃな戦争おまへんで。イギリス軍はりっぱな戦車でバーッとうってきて、日本兵の5人か10人が死んでしまう」と話してくれました。
食べ物がなくなり「二十数日間、飯つぶ一つ食わなかった。水を飲むしかなかった」といいます。


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作戦が中止になった後、引き返す時にも食べ物がなく、日本兵は命を落としていきました。
あまりになくなる人が多いので、帰り道は「白骨街道はっこつかいどう」とよばれました。


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大阪市の黒部邦夫さん(94)は、なくなった人をたくさん見て「最初はかわいそうと思ったが、そのうちなれて何とも思わなくなった。人の心はあの時なくなった」と悲しそうに言いました。

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