Cameraと散歩

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160531 世界が反対でも私が「死刑制度」を支持する理由 2-3

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福田和也のへそまがり世間論

世界が反対でも私が「死刑制度」を支持する理由
2-3

さて、わが国に話を戻すと、平成21年の内閣府調査では、国民の85.6パーセントが死刑の存置を認めるという結果が出ています。
この調査は5年ごとに実施されており、平成6年は73.8パーセントという結果でした。
一貫して増えていることがわかります。
日本では高度経済成長に入った頃より凶悪事件が減り、それと共に死刑判決も少なくなっていきました。
ところが、平成7年に起きたオウムサリン事件により一転して死刑判決が増え、国民の意識が死刑存置に大きく傾いていったのです。
私個人としても、死刑存置論を支持しています。
肝心なのは、人権の尊重をいかに考えるかということです。


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想像したくもないことですが、もしも罪のない家族が殺人者の手にかかったらーー。
私はその殺人者を絶対に許さない。
当然、死刑を要求します。
江戸の昔であれば、自ら敵を討ったでしょう。
今は判例主義で、1人の殺害であれば死刑を免れることが多いのですが、自分の利得のために罪のない人間を殺したのであれば、たとえ1人でも死刑に処すべきです。
そうした殺人者を自らの死と対峙させない限り、被害者の尊厳はありません。


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逆に自分が殺人を犯してしまったらーー。
月並みな言い方ですが、人生は何が起きるかわかりません。
ある日、自分が明確な意思をもって人を殺す可能性が絶対にないとは言えないのです。
もしも私が、誰かを殺し、死刑でなく、無期懲役となった場合、その後に残された時間は全く無意味なものになることが想像されます。
何故なら、「死」と向き合うことができないからです。
死刑囚であれば、執行がいつかは分からないまでも、自分の前に確実な死があり、その恐れから、被害者の受けた苦しみや恐怖に共感し、心から反省することがあるかもしれません。
また、死について繰り返し考えることで、精神が深化する可能性もあるでしょう。


(’14.8.28 週刊新潮