Cameraと散歩

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160905 ハリーは災難

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変見自在 高山正之

ハリーは災難


日本の大学で教鞭をとる米歴史学者ハリー・レイが「原爆投下は当然」と主張する本を出した。
学者というから余程しっかりした資料を示すのかと思ったら大違い。

「日本軍は南京で43万人を殺した」とか支那人もびっくりの数字を掲げ、さらに「捕虜を釘で壁に磔にした」
「赤ん坊を放り上げて銃剣で刺した」
とかの話をごまんと並べる。

いずれも第一次大戦で「独軍がやった」と米紙が流した話だ。
戦後の検証の結果「みな嘘だった」(ポンソンビー『戦時の嘘』)。


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ただ日本軍の場合はジョン・ダワーが「検証も必要ないほど明白な事実」と作り話をそのまま歴史に固定しようとしている。

そんないい加減なデータでハリーは「日本人は野蛮、冷酷、無慈悲」で「1937年には上海で非戦闘員を殺す空爆をやった」から目には目、歯には歯で原爆を食らったのだ、反省するのは日本人だと言う。


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言いたい放題。
こんな人が日本で教鞭をとることに違和感を覚えるが、一つだけ指摘したい。

1937年の上海といえば第二次上海事変のことだろう。
あの騒ぎは幾多の歴史書が示すように米国やドイツ、ソ連が競って蒋介石に装備を与え、軍事教練を施して日本と戦わせる陰険な仕掛けがあった。

だからこそ上海の日本人租界を突如攻撃してきた蒋介石軍は独軍と同じヘルメットをかぶり、独軍と同じモーゼルM98歩兵銃とチェコ機関銃を持っていた。


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米国は戦闘機コルセアとノースロップの軽爆と飛行教官を提供していて、この時は地上軍と呼応し、黄浦江にあった巡洋艦「出雲」へ空爆を仕掛けた。

出雲は応射し、たちまち3機を撃墜、別の2機にも被害を与えた。
逃げる支那人パイロットは500キロ爆弾を抱えたまま帰投する勇気も技量もなかった。
だから適当に爆弾を捨てて基地に向かった。

捨てた2発のうち1発は、仏租界で爆発して何人かを殺し、もう1発がキャセイホテル前に落ちてこちらは729人が即死した。
その30分後、これも被弾した軽爆が捨てた爆弾が大世界娯楽センター前に落ちて1012人が死んだ。

上海で非戦闘員をかくも大量に殺したのは「野蛮で冷酷な宋美齢指揮下の支那空軍機」が正解だ。


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ハリーには困ったものだが、こういういい加減な主張をする米国人は結構多い。
その一人がカーター政権の財務長官マイケル・ブルメンソールだ。

対日経済政策で、かなり強引に円の切り上げを要求した男で、日本人の多くが彼を嫌っている。
彼はユダヤ系ドイツ人でヒトラーポーランド侵攻を始める直前、ドイツを脱出した。
彼が13歳のときだ。
しかし当時は米国もどこもユダヤ人は受け付けなかった。
同じ年にセントルイス号で脱出した930人のユダヤ人は米国上陸も叶わず、送り返され、大方は強制収容所で死んだ。


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しかしマイケルは幸せだった。
世界でただ一国、ユダヤ人に偏見を持たなかった日本のおかげで上海に上陸できた。
彼らは日本租界の一角に棲んだ。
その数は3万人にも上った。

彼は昨年春、上海を訪れて
「ユダヤ人難民と支那人は日本の侵略者の悪行を目撃した」
「数回の爆撃のあと我々は支那人と協力して罪のない犠牲者を回収し、けが人を救った」
と語った。

一体何の話だ。
日本が蒋介石軍を追った後は、つまり彼がここに安住の地を得た後は爆撃もなかった。
至極平和だった。


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終戦間際にB29が飛んできたが、空襲はなかった。
日本の都市が焼夷弾で燃えていたとき、ここでは李香蘭の公演が満員の盛況だったと彼女の自伝にある。

彼はそうした歴史に感謝の言葉もなく、今また支那人に媚びて嘘をつく。

少し前、政府は731部隊の嘘を振りまく支那人へのビザ発給を止めた。
政治的悪意を持つ者にまともな対応は必要ない。

ブルメンソールも然りだ。
彼に悪意ある中傷について釈明を求め、日本への入国禁止を通告すべきだ。

’16.1.14 週刊新潮より