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Cameraと散歩

since '140125

161008 戦時においても法を沈黙させてはならない

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宮崎哲弥の時々砲弾

戦時においても法を沈黙させてはならない


岡田たすく中将は1949年9月17日、巣鴨プリズンで絞首刑に処せられた。
捕虜殺害等の罪を負わされ、B級戦犯として「法務死」を遂げたのだ。
享年59歳。

「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何も彼も悪いことは皆敗戦国が負うのか?なぜ堂々と世界環視の内に国家の正義を説き、国際情勢、民族の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりし事を明らかにしようとしないのか?」との言葉を書き置いた。

この遺書通り、岡田は法廷において、連合国による攻撃の違法性と自分の部下たちの減刑とを訴えた。



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彼はいかなる”罪”に問われたのか。
1945年5月14日、3度目の名古屋大空襲で追撃されたB-29の搭乗員27名の処刑を命じたことが戦争犯罪に当たる、とされた。

しかし、この処断はあくまで法的審判の手続きに準じたものであり、本来ならば正規の軍律会議に付すべきところ、戦況逼迫のため略式手続きによって27名の死罪が決定された。
罪状は戦時国際法で禁じられている無差別爆撃であった。
岡田は第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官として、かかる処決を認可した。



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大岡昇平が岡田の戦後の軌跡を追ったノンフィクション『ながい旅』(角川文庫)によれば搭乗員は「何回かの無差別爆撃の累犯ありと見なされた」と記されている。
彼らは捕虜ではなく罪人、しかも無差別殺戮の累犯者だったのだ。

第二次世界大戦末期の、アメリカによる日本やドイツに対する都市空爆は、国際人道法に照らしても、正戦の原則からも決して容認されない重罪である。
この問題は一昨年、当連載で13回にわたって詳しく論じた。
そのダイジェスト版が「文藝春秋SPECIAL」の2015年春号に載せてある。



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ざっくりいえば、非戦闘員の殺傷を必然的に伴う人口密集地に対する空爆はそもそも犯罪なのである。
都市爆撃の違法性を阻却する最低限の要件は、戦況が「最高緊急事態スプリーム・イマージェンしー」に直面していること。
即ち、もし有効な反撃がなされなかった場合、文明的価値と国民共同体がそこなわれてしまうような致命的状況においてのみ都市部への戦略爆撃は許されるのだ。

然るに、名古屋や東京への焼夷弾による大規模空襲、広島、長崎に対する原子爆弾投下はすでに連合国側の勝利が決定的になっていた時点で行われた。
もはや「最高緊急事態は過ぎ去っていた」(マイケル・ウォルツァー)にも拘わらず、だ。


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去る3月10日、墨田区東京都慰霊堂東京大空襲の犠牲者を供養する法要が営まれた。
70年を迎える節目の法事であり、皇族方や東京都知事とともに安倍晋三首相も出席した。
安倍氏は追悼の辞で「戦災によって命を落とされた方々の尊い犠牲の上に、我々が享受する平和と繁栄がある」と弔意を表し、「過去に対して謙虚に向き合い、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら世界の恒久平和のために能う限り貢献する」と誓ったという。

だがそれだけでよいのだろうか。
戦後70年に際して、私たちは自らの過ちに「謙虚に向き合う」と同時に、勝者で有る連合国側の、国際条理にも人道にももとる行為を改めて剔抉てつけつしなければならないのではないか。



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岡田資中将は連合国による軍事法廷で「司令官たる自分の責任」を明言する一方で、「処刑したのは無差別爆撃をした米兵のみである」と主張した。
戦勝国が設えた裁きの庭で、戦犯の汚名を着せられながら、堂々と普遍的正義を説き、無差別爆撃の犯罪を論証した。
彼はこれを「法戦」と呼び、裁判で戦い抜くことを最後の使命として自らに課したのである。


湾岸戦争以降、空爆は先進国による”軽い戦争”遂行の常套手段となっている。
いまその合法性や道義性を厳しく問うことは、むしろ「積極的平和主義」を裏から支える喫緊の要事である。

2015/04/09の週刊文春から