Cameraと散歩

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161204 ハイジャックされた国

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ハイジャックされた国 藤原正彦

イギリスは中世から現在に至るまで階級社会である。
貴族とは王室を頂点として世襲の公、侯、伯、子、男爵及び一代男爵である。
一代男爵は出自に関係なく、首相、国会議長、最高裁判事、政党幹部など、国家への貢献度の高い人に与えられる。
サッチャー元首相は一代男爵になった。


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貴族の下にはかつてジェントリー(郷紳)と呼ばれる中規模の地主層がいた。
ジェントリーは家柄や所得に応じて上からバロネット(準男爵)、ナイト(騎士)、エスクワイア(従騎士)の三種類があった。

バロネットとナイトは今もあり、ビートルズポール・マッカートニーはナイトだ。
貴族とジェントリーはそれぞれロード(Lord)、サー(Sir)と呼ばれ合わせて上流階級をなす。
両者の特権には、貴族は貴族院議員になる資格があるという以外に違いはほとんどなく、社交界を通じて通婚もあった。


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ジェントリーは地方に住み、土地から上がる所得で優雅な生活を送っていたが、地方の行政職や判事など官職を無給で進んで引き受け、自らの利益を追求するようなことはなかった。
中央官庁へ人材を送ったり、慈善事業に積極的に取り組んだり、戦争があれば自ら率先して戦場へ赴いたりもした。

ノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)だ。
貴族とジェントリーは宮廷、内閣、議会といった中央の政治機構独占し、地方政治を牛耳っていた。
貴族制だ。


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ジェントリーは地方では民衆の公明正大な保護者であり、同時に名望家でもあったのでその寡頭支配に挑戦する者はいなかった。
事業で成功した者は大きな土地を地方に買いジェントリーとなる道もあったが、ジェントリー(後にジェントルマン)としての品性や教養も求められたので、競って子弟をパブリックスクールに送り、教養としての古典と数学のほか、公正、自制、勇気、忍耐、礼節、ユーモアなどの特性を学ばせた。


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これはブルジョア階級(資本家、経営者、銀行家)が現れた産業革命後も変わらなかった。
彼らの実学思想やサクセスストーリーは、成り上がり者の思想として一顧だにされなかった。
ニューマネー(一代で築いた金)は成金と見下され、オールドマネー(遺産による金)は羨望されたのだ。

これはアメリカで、ニューマネーが尊敬されオールドマネーは不労所得と軽蔑され、教養や品性より功利性や実用性が尊ばれ、リンカーンの丸太小屋伝説からビル・ゲイツ、スティーヴ・ジョブズに至るサクセスストーリーが崇められるのと正反対だ。


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経済力を蓄えたブルジョワ階級はしばしば体制変革を志向するが、イギリスではなんと、「国家の統治は教養や品性のある貴族やジェントリーに委託するのが良い」と思っていたのである。
現在もその傾向は色濃く残っている。


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教養や品性より功利、実用、したがってカネが尊ばれる国においては、必然的に実業家や経済界が敬われ、政治に深く関わるようになる。
とりわけ新自由主義や金融資本主義にハイジャックされた1980年台以降のアメリカは甚だしい。


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我が国はもともと教養や品性を重んじ、江戸時代には武士階級に、その後はエリートに国を任せるというイギリスに近い国であったが、1990年代からは経団連を中心とする経済界が天下を動かすようになった。
新自由主義の激しい競争下では効率や利潤が至上課題で、教養や品性などどうでも良いのだ。

だからここ十数年間の改革の多くは彼らの要望のままだ。
法人減税のための消費増税、大量移民計画、TPP、労働者派遣法改正などすべて彼等の利益のためだ。
小学校からの英語やパソコン、デジタル教科書、グローバル人材養成、国立大から人文社会系をなくす、なども彼等が言い出した。


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広告収入に頼る新聞、雑誌、テレビなどメディアはこれら呆れるような愚策に反対さえ打てない卑屈と無見識の中にある。
我が国もまた「たかが経済」にハイジャックされ、恥ずべき国家群に仲間入りしたのだ。

管見妄語 藤原正彦 週刊新潮60巻24号から