変見自在 高山正之
スイス人の行い
ケント・ギルバートが何かの会で日本の代表的英字紙ジャパン・タイムズについて「あれはアンチジャパン・タイムズだから」と言っていた。
その通りで、この新聞は安倍晋三が嫌いで慰安婦と反原発が大好き。
それで紙面を埋めるからまともな記事は年に1本あるかないか。
今年はその1本が珍しくあった。
先日の佐藤紘彰のコラム「誰が原爆から京都を救ったか」だ。
米側史料では45年5月初め、米政府は京都、広島、小倉、横浜を投下候補都市に選び、その時点から通常爆弾による空襲を禁じた。
原爆の破壊力を正確に測るための措置だった。
京都は最優先候補地とされた。
街が盆地状で、その中心点、梅小路操車場の上空で爆発させれば直径5キロの火球が市中心部をすべて消滅させるはずだった。
5キロ圏外の金閣寺も西芳寺も盆地ゆえに直射され、60万市民とともに焼かれていたはずだ。
アラモゴルドでの核実験の2か月も前の決定は早すぎるように見えるが、あれは未知領域の多いプルトニウム型の実験だった。
京都に落とすウラン型は「核爆発は確実」「投下都市を最初の実験場とする」方針ができていた。
実際、米エネルギー省の核実験記録にはウラン型の1回目の欄に「実験場/広島」とある。
広島は壮大な核の人体実験場だった。
佐藤のコラムによると、その決定から1か月後、78歳の陸軍省長官ヘンリー・スチムソンが次官補のジョン・マクロイに「もし京都を投下候補地から外すと感傷的な老人と思われるかな」と言ったという。
彼はそこに新婚旅行に行っている。
マクロイは戦後、この話をアマースト大学関係者に語った。
コラムはその関係者の証言で構成されている。
一方、米国。
日本を占領したはいいが、日本人の寛容さに比べ、彼らは黒人奴隷を使い、インディアンを皆殺しにし、今また無辜の20万を原爆で焼き殺した。
「残忍な白人」のイメージを拭うため」スチムソンの気紛れ」が利用された。
実は偉い学者ラングドン・ワーナーが日本の文化財保護を進言し「京都は守られた」とGHQの広報機関、朝日新聞に書かせた。
人間は焼き殺して文化財は保護しましたなんてペテン師だって恥ずかしくて言えない。
でも日本人はコロッと騙された。
思慮が足りない奈良人は奈良が焼かれなかったのはワーナーさまのおかげ。
舞い上がって彼への感謝の碑を法隆寺わきに建てた。
鎌倉文化人も同じ。
米国がこのペテンに使った「ワーナーのリスト」に載ってもいないのに同じように感謝の記念碑を鎌倉駅前に設置した。
因みにコラムではワーナーは軍への進言をきっぱり否認している。
「朝日新聞は嘘ばかり書く」と。
実際、彼のリストには広島城も熱田神宮も名古屋城も入っているが、みな燃やされた。
空から見れば絵のように美しい名古屋城には、延べ2000機が焼夷弾を落として、とうとう焼き落とした。
スチムソンが京都を外す決断をしたころ、軽井沢に疎開していたスイス公使カミユ・ゴルジェが「軽井沢を爆撃しないで」と本国に訴えている。
延べ19回も。
町の歴史愛好家が「天皇制護持を訴える暗号ではなかったか」「公使がその仲立ちをしたのでは」と研究していると新聞にあった。
本当に白人はみないい人たちばかりだから。
ゴルジェは戦後史にも出てくる。
終戦の年の10月にマッカーサーを訪ね「日本の時計工業を潰してくれ」(共同通信)と頼んだ。
彼は頷き、幣原喜重郎を呼んで労働組合法を作らせた。
労賃を上げさせて国際競争力を弱めるためだ。
ゴルジェはもう一度現れ、対日戦時賠償を算段している。
それで永世中立国は11億円の戦争賠償金を持って行った。
まるで掠り屋だ。
そんな男が日本のために一肌脱ぐか。
ところ嫌わず爆弾を落とす米軍機に辟易して、白もいるんだぞと言っているとしか見えない。
白人を決して買い被ってはいけない。
’15.12.3 の週刊新潮より