Cameraと散歩

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171124 真珠湾の2人

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変見自在 高山正之

 真珠湾の2人


パンアメリカン航空の機長ハリー・ターナーは、その日午後娘のピアノ発表会があるので「少し遅れる」と会社に連絡した。

彼がその日に飛ばすのは、4発水上艇チャイナクリッパーだ。

サンフランシスコ湾のトレジャーアイランドを基地にホノルル、マニラ経由で香港に行く。

今回はその先シンガポールまで飛ぶ予定で全行程14日間のフライトになる。

出発が15分遅れても問題ないと彼は考えたが、交通渋滞もあって彼の機がサンフランシスコ湾を発ったのは40分遅れの12月6日午後5時40分だった。




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14時間後の7日朝にはホノルルに着く。

チャイナクリッパーの専用埠頭は真珠湾の北アイエア地区にある。

ここには、大統領命令でロングビーチにいた太平洋艦隊が1年半前から引っ越してきていた。

ために湾中央のフォード島周辺にはいつも空母やら戦艦やら100隻を超える艦船がひしめき、着水には結構、神経を使わされた。

飛行は順調だった。

翌朝午前8時前、通信士がホノルルのラジオ局KGBMの電波を探った。

当時は中破ラジオが唯一確実な方位測定手段だった。

軽快な音楽が聞こえた。

その電波を辿ればあと40分で真珠湾に着く。

音楽が途切れた。




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「緊急情報です。真珠湾が攻撃されていると」。

通信士が真っ青になって機長に伝えた。

ターナーは機首を南に振り、ハワイ島ヒロに向かった。

日本機を警戒しながらの1時間の飛行は「凄く長い時間に感じられた」と自著にある。

発表会がなく予定通りに出発していれば機は戦艦アリゾナを左に見ながら真珠湾に着水しているころだった。

娘に感謝した。

機長はヒロ到着後、37人の乗客に事情を伝えた。




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中に2人のVIPがいた。

1人は、即位したばかりのパーレビー・イラン皇帝だった。

彼の国はその3か月前、英国とソ連の侵攻を受け、占領された。

イランはソ連への軍事補給路として格好だった。

しかし父レザ・シャーは中立を言って協力を拒んだ。

それだけで国家主権は蹂躙され、父は追放された。

パーレビーは連合国側につくことを条件に辛うじてイランの独立を約束された。

連合国軍の意に沿った傀儡皇帝ともいえる。

今回は、裏ですべてを画策したルーズベルトを表敬する屈辱の旅からの帰途にあった。




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日本は1人で白人国家相手に戦争を始めたという。

真珠湾の米艦隊はそれで壊滅したと聞いた。

2年前の彼の結婚式の折、日本は日本製の旅客機で駆けつけ、祝賀飛行をやってくれた。

何でも自分でやる。

欧米に振り回されるわが身とそれは対照的だった。

彼はのちに欧米の作る石油カルテルに公然、対決し、イランの工業化を急いだ。

「アジアの西の日本たれ」が皇帝の口癖だが、その元は真珠湾の衝撃にあったのかもしれない。




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もう1人のVIPはビルマ首相のウ・ソーだ。

彼はルーズベルトに「ビルマ兵を出すから独立させて」と訴えたが、門前払いされての帰り道だった。

そして真珠湾を見た。

自国の独立まで白人に乞う己がみすぼらしく思えた。

彼は東回りで帰国する途中、リスボンの日本公使館に寄り「共に戦いたい」(千葉公使の公電)と告げる。




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日本の暗号をとっくに解読していた米国はウ・ソーの裏切りを英国に伝え、彼はその10日後、乗り継ぎで寄った中東の飛行場で捕まり、牢に繋がれた。

彼は戦後、もう一仕事させられる。

日本軍に協力したアウンサンと対立し、彼を暗殺するという役どころで、立派にこなすとそのかどで処刑された。

真珠湾を見ただけで、彼らは戦後の歴史も大きく変えた。




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先の戦争は真珠湾をはじめ、広大な天地を戦場にした。

補給線も考えず戦域を広げすぎたという批判はある。

それは、それだけ多くの人が日本人の戦いを見る機会を与えたとも言える。

少しはましになった「今」を見れば、決して無駄な戦争ではなかったと分かる。

’15.12.10 の週刊新潮より