宮崎哲弥の時々砲弾
完全死刑マニュアル
日本弁護士連合会が去る10月7日に全国各地の弁護士会に配布した”死刑回避マニュアル”を読んだ。
週刊誌では、すでに「週刊新潮」が特集で取り上げ、酷評を加えている(2015年10月29日号)。
だが通読して見て、これが「新潮」が問題視している以上に愚劣で醜悪な代物だとわかった。
正式には「手引き 死刑事件の弁護のために」という外題の、110ページから成るA4版の冊子で、作成者は「日弁連刑事弁護センター死刑弁護小委員会」と記されてある。
この「手引き」、徹頭徹尾「裁判員・裁判官に死刑の選択を回避させる」の一点に目的が絞り込まれていて、そのために「弁護人がとるべき戦略」が縷説されているのだ。
その手段を選ばぬ指南ぶりはまさしく”マニュアル”と呼ぶに相応しい。
例えば捜査段階では、「新潮」が指摘するように「黙秘権行使が最も有効な対応」で、「被疑事実そのものに争いのない事件であっても、黙秘権の行使が原則」とある。
剰え、取調官は「良心に訴える」「被害者の立場になって考えるよう説得する」などして自供を引き出そうとするが、「そのような言葉に惑わされないよう」「先回りして依頼人に説明しておくのが有効」などと書かれている。
加害者には人間的な悔悟の情など捨てさせろ、と教唆しているに等しい。
この「手引き」で私が一番嗤ったのは、死刑相当事犯についての責任能力の評価をめぐる問題で、選りにも選って中国の事情を引き合いに出している点。
”重大事犯の場合、判決を下す側が社会防衛を意識するあまり、心神喪失時や心神耗弱時の犯行に対する刑の減免を躊躇する傾向がある”と当て推量しているのだが、日本における具体的論拠を示すことができないので、「死刑超大国」「人権状況劣悪国」として名高い中国の刑法や裁判官の所見を持ち出して論拠に代えている。
トンデモない論証だ(笑)。
ちなみに、中国刑法では無差別大量殺人のみならず麻薬密輸にも死刑が適用される。
それらの審理において、裁判所に当たる中国の人民法院は「社会安全秩序と重罰(即死刑)を望む国民の処罰感情を考慮」して、「精神鑑定の申請を却下し」、自動的に「完全責任能力を認める」ことになっているそうな。
中国の現職裁判官はかかる刑法の規定を「責任主義に反するとは必ずしも言えないように思われる」と擁護している・・・・。
日本の裁判官がこの見解を支持することはあり得ない。
「手引き」はあり得ない事態をあるかのように見せ掛けるために、日本とは懸け離れた体制の国の事例をしれっと引いているのだ。
このような論法が許されるなら、ハンムラビ法典だろうが、シャリーア(イスラム法)だろうが引証できる。
責任能力に関連していま問題となっているのは、「手引き」が懸念するのとは逆の事態だ。
裁判員制度施行後、起訴前の精神鑑定が急増している。
読売新聞(2015年4月17日付朝刊)によると、検察による起訴前の鑑定留置の件数が、2014年は520件に上ったという。
裁判員制度施行前の2008年までは年間200件から250件だったのが、俄に倍増している。
しかもこの間、刑法犯検挙件数は大幅に減少しているのである。
読売には「動機が不可解な重大事件はほぼ全部、起訴前に鑑定をしている」という地検幹部のコメントが載っている。
かつてなら1、2時間の簡易鑑定で済ませた案件でも、正式の鑑定を実施するようになった背景にはやはり裁判員制度導入がある。
「責任能力があることを裁判員に理解してもらうには、鑑定のお墨付きが必要」というのが検察側の見解だ。
裏を返せば、責任能力具備の確証が得られないケースについては「不起訴も想定」しているわけだ。
これが近年の一審死刑判決激減の一因となっている可能性も否定できない。
2015/11/19の週刊文春から