Cameraと散歩

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240423 北海道似湾編 似湾沢 9の9

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履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編   似湾沢 9の9

「お母さん、池田さんのおばさん何しに来たの。」と私が母に尋ねると、「浩治さんと同じようにあやまりに来たんだよ、そんなに気にすること無いのになぁ。好い人だからじっとして居れんのじゃろ。」と母が言って居る所へ、またおばさんがやって来た。
「奥さん、先程はどうもお邪魔しました。これ、ほんの少しですけど。」と言って、大きさが15糎位の揃ったヤマベを30尾程容れた台鍋を、応待に出た母へ差出した。


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 「まぁ、おばさん、折角浩治さんが苦労して釣って来たのにそれを私のとこでこんなに貰ったら、おばさんとこで食べるの無くなるでしょう。」と母がとんでも無いと言う表情で言うのを、「奥さん、私が帰ったらネ、浩治が義潔さんと義章さんの二人が持って帰ったヤマベが、たった十一尾しかなかったんだと言って居たから、俺選んで台鍋に容れたんだが、これ持って行ってあげてくれないかい。
保は五十尾程持って帰ったと言うから良いが、義章さんのとこは十一尾じゃどうしようも無いからなあ。
これ義章さんのとこへやっても、家には未だ八十尾程のこるから大丈夫だから持って行ってあげて、と言うもんだから持って来たのですよ、だから遠慮しないで取って下さいよ。」と言って、その台鍋を母に渡してから、「奥さん、ヤマベは天婦羅が1番上等の味ですよ、そしてその次が焼干にして煮つけるんですネ」と母に、料理の方法を教えて、池田さんのおばさんは帰って行った。



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 三十尾程と思って居た台鍋のヤマベは丁度五十尾あったが、私達兄弟の十一尾と、保君から貰った十尾を合わせると、都合七十一尾と言う大量の数になってしまった。
母は晩餐の副食にと、早速三十尾程を天婦羅に揚げたのだが、父母を始めて生れて以来ヤマベの天婦羅と言う物が始めであったので、家族が揃って舌鼓を打った。
それは私が昨日池田さんのおばさんが、ヤマベを持って来てくれた台鍋を返しに行った時のことであったが、「義章さん一寸来いよ、俺の魚籃を見せるから。」と浩治少年が呼んだので、私は彼の傍へ寄って行った、すると彼は、台所の片隅から空っぽいなって居た魚籃を持って来て、「俺の魚籃はなぁ、これ見ろよ口の所に網があるだろう、一尾釣る毎にこの網の口をこう開いて中へヤマベを入れたらこの紐をこう絞るんだ、するともうヤマベは外へ出ないのよ、だから昨日俺は釣ったヤマベを全部持って帰ったと言う訳よ。」と言ったが、成程彼の言うとおり、魚籃の中のヤマベは、その網の作用によって外へは絶対出られないようになって居た。



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 父は、一度味わった天婦羅の味が忘れられないと見えて、時折「義章、ヤマベ釣って来いよ。」と私に言いつけるので、兄や保君と行く日もあったが、似湾沢へ釣りに行くのは単独の日が多かった。
併し、いつも十間橋から下流へ釣りながら降ったので、嘗て怯えた熊の咆哮も、そして不気味な梟の啼声も、再び私は聞いたことが無かった。




240204 北海道似湾編 似湾沢 9の8

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履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
  似湾沢 9の8


 その翌朝、と言うよりも、その日の朝のことであったが、「義章、浩治さんが来たよ。」と母に呼び起こされた私が、「眠たいのになぁ。」と渋々寝床を這出して、目をこすりながら玄関へ出てみると、「オイ、大丈夫か、兄さんはどうだ。」と、帰ってから顔を洗わずに寝たらしく、ぶす黒い寝不足顔の浩治少年が、私に尋ねた。

 「ウン、二人共何んとも無いよ。」と私が答えると、「そうか、そりゃ良かった。俺、どうかなと思って見に来たんだ。」と言って、さもさも安心したと言うように、浩治少年はニコッと笑った。

「オイ、それからお前たち二人で何尾釣った。」と浩治少年が、更に尋ねたので私は父に笑われた。
帰宅後の状況をその儘話した。すると「そうか、釣るのは三十尾位づつ釣ったのか、転んだ時に流したのは惜しかったなぁ。」と言ってから「義潔さんが五尾、お前が六尾、すると二人で十一尾しか無かったと言う訳だなぁ、ウム」と、浩治少年が唸った所へ、台所で朝食の準備中であった母が顔を出して、「浩治さん、昨日は家の二人が大変お世話になったネ、どうも有難う。」と礼を言えば、「おばさん、嫌だなぁ、俺、家のお母さんにあやまって来いと言われて来たんだよ。
俺が悪かったんだよ。おばさん許してネ。」と言って、浩治少年はピョコンと頭を下げた。




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 「でもネおばさん、俺はネェ、義潔さん達二人がヤマベを釣る呼吸を知らないものだから、俺や保のようにどんどん釣れなかったんだよ、だからもう少し多く釣らしてやろうと思って居るうちに上流へ登り過ぎてしまったんだよ。」と、頭を掻きながら、浩治少年は今一度頭をピョコンと下げた。

 「保はどうしたかな、よし、これから行って見よう。」と浩治少年が玄関を出たので、私も彼はどうして居るかな、と思ったので、急いで下駄をつっかけて浩治少年の後について行った。

 その時の保君は、起きたばかりのところであったが、彼の魚籃にも矢張り蓋が無かったので、相当数のヤマベを渓流へ流したらしかったのだが、彼の魚籃は私達兄弟の魚籃とは違って、口の狭い胴の太い大形であって底が深かった関係か、魚籃には未だ五十尾程のヤマベが残って居たと言って居た。




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 「そうか、お前のは五十尾程残って居たのか、義章さん達はなぁ、二人分合わせて十一尾しか残って居なかったんだとよ。」と言って、浩治少年は帰って行ったが、「そうか、お前達十一尾しか無かったんか、俺の家ではあまりヤマベ食わないんだ、少しやるから持って行けよ。「」と言って、保君は台所の流しの上から魚籃を持って来て、「いいから、いいから。」と言って遠慮をする私の手に大きいの選んで、十尾のヤマベを持たした。

 「オイ、すまんなぁ、どうも有難う。」と礼を言って私は帰ったのだが、その時家には池田さんのおばさんが来て居た。

 母がお茶でもと言って勧めていたが、私が帰ると間も無くおばさんは帰って行った。


231222 北海道似湾編 似湾沢 9の7

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履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編 似湾沢
  似湾沢 9の7


 浩治少年のお母さんは、勿論そうしたことが心配であったから、閑一さんを起こしたものであったが、その閑一さんにそう言われた時には、生きた心地はしなかったそうであった。

 表へ出た閑一さんは、「お母さん、浩治の奴とんでもないことをしでかしたぞ、あれご覧よ、隣りの家も、義章さんの家も、未だ起きて居るではないか。」と言って、やがては有明の灯となろうやもしれない洋燈の灯が、窓からそのにぶい光を闇に吸わせて居るのを指さして、お母さんをおろおろさせたそうであった。

 「浩治の奴は熊に殺られても仕方ないが、他の三人に間違いがあったら申訳が無いぞ、隣りは老人と病人(多盛老人の後妻の夫人は病臥中であった)だしなぁ、よし、俺義章さんの所へ行って相談してくる。」と言って閑一さんが、私の家を訪れたそうであった、そうして父に「義章さん、弟の奴が悪いんだけど、どうなって居るか。私はこれから行ってきます。」と言ったので、「そんなら私も一緒に行く。」と言って父は、その正面には鷹の羽の打つがえと言う家紋を描いた祖先伝来の弓張提灯を持ち出して、私達兄弟を不埒な奴つと呟きながら、閑一さん母子に連れだったのだったのだ、と言うことであった。




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 池田さんの家の前で浩治少年とそのお母さんに別れた私達父子、そして閑一さんに保君と言った五人は、学校の坂を登ったのであったが、その道々「熊の咆哮を聞かなかったか。」と閑一さんに聞かれたので、その咆哮の恐ろしかったこと、また幾度も転倒しながら暗闇の渓流を泣面で歩いたこと等を話しながら歩いた。

 そうした私達五人は、多盛老人の家の前から「爺さん、保帰ったよ。」と閑一さんが声を掛けると、老人と保君のお母さんが周章てて出て来た。

 私は、「馬鹿野郎。」とか、何んとか言って、保君が叱られるのでは無いかと密かに心配をして居たのだが、結果は意外と「オオ保、よく帰って来たなぁ。」ととても喜んで居た。

 其処で閑一さんとも別れて私達は、家に帰ったのであったが、待ちわびて居た母は、涙を流して喜んで居たが、その時の母の顔が、今も私の目に浮かんで見える。




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 それは私達兄弟が、井戸端で足を洗って台所で手や顔を洗って茶の間へ這入った時のことであったが、「お前達は二人で何尾位釣ったんだ。」と父に問われたので、早速私は台所の流しの上に置いた魚籃を持って来て中を覗いたのだが、その瞬間私は思わず「オヤッ」と驚声をあげた。

 私自身としては、少なくとも三十尾は釣ったと思って居たヤマベが、魚籃の中には僅か六尾しか這入って居なかった。

 「変だな、確か三十尾位は釣った筈なんだけどなぁ、只の六尾しか這入って居ないや。」と私が呟くと、「何、六尾しか這入って居ないって。」と言って、兄も急いで自分の魚籃を覗いたのだが、その兄の魚籃にもヤマベは五尾しか這入って居なかった。

 私達兄弟には、その原因がすぐ判った、と言うことは、私達の魚籃には蓋が無かったので、幾度か水苔に足を滑らして転倒した時に、ヤマベを渓流へ流してしまったのであった。

 「何んだお前達、今までかかって二人でたったの十一尾か。」と、父に笑われたのであったが、私達も熊の咆哮に怯えて、無我夢中で渓流を歩いて居た時には、ヤマベのことなど全然念頭に無かったのだが、無事に帰り着いてみると、「ウム、残念なことしたなぁ。」と今更のように、渓流へ流したヤマベの数を惜む二人であった。