Cameraと散歩

since '140125

221007 北海道似湾編 カケス 6の3

IMGR074-15

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
  カケス 6の3


カケスと言う鳥は、香川県にも居たかも知れないが、北海道へ移住をするまで、その名さえ知らなかった私であった。
従って、私は似湾へ来て始めてその鳥の名を知って、その鳥の姿を見たものであった。

その日も私は保君と跳釣瓶の井戸の傍で相撲を取って遊んで居たのであったが、その時刻的には太陽が正に西の山に沈まんとする頃のことであったが、綺麗な羽をした鳥が五、六話羽の群れとなって、ギャアギャアと鳴きながら、南の方向から飛んで来たのだが、その鳥の大きさは鳩程の大きさでしかなかったが、嘗て私が見たことの無い鳥であった。

その私には珍しい鳥が、跳釣瓶の井戸の傍に在る雑木の茂みの中で、只一本亭亭と天を摩して居た桂の大木の枝に止まった。




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そうした鳥の様子を見た私は、「保君、一寸待てよ。」と、保君との相撲の遊びを止めて、「保君、あの鳥綺麗だなあ。」と言って、見とれて居ると、「なんだ、カケスじゃないか。」と簡単に言い捨ててから、「お前あの鳥欲しいのか。」と保君が言ったので、「うん、欲しいなあ、俺この鳥見るの今日始めてなんだ。一羽飼って見たいなあ。」と言う私に、「そうか、よし俺が一羽捕てやる、明日まで待っとれ。」と言って、保君は、その日も自分の家から鉈を持って来た。

そうした保君は、「オイ、あの桂の木の下へ罠を作るんだ。そうすると明日は屹度カケスが捕れるぞ。」と言って、その桂の木の下の雑木の茂みから、枝がY字になって居て、根元が4糎程の大きさの木を1米程の長さに揃えて二本切って来た、そしてそのY形の上部を十五糎程に揃えた。

そうした保君は、更に附近から中指程の太さの萩の木を、矢張一米程の長さに揃えて二本切って来た。

「オイ、これで準備は出来たんだ。あとは明日学校から帰ってからまた作ることにするべ。」と保君が言った時に、丁度夕食の時刻であったので、彼の家の表から、「保、ご飯だよ」と呼ぶ母親の声に、「さよなら」と言って、保君は帰って行った。



081109 グアム移転15年以降  在沖縄米海兵隊 普天間移設に影響も

IMGM0205-24

'08/11/09の朝刊記事から

グアム移転15年以降
 在沖縄米海兵隊 普天間移設に影響も


【ワシントン7日共同】在日米軍再編計画の柱である在沖縄海兵隊のグアム移転が、当初予定されていた2014年末の移転完了より1年前後遅れ、15年以降にずれ込む可能性が強まっていることが7日わかった。
国防総省が同日公表したキーティング太平洋軍司令官の講演内容の抜粋から明らかになった。




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遅れの可能性はこれまでも指摘されていたが、米軍高官が公言したのは初めて。
移転費用が見込みより、かさんでいることが理由。
日本の負担増を求める圧力が強まったり、米軍普天間基地の移設計画に影響する可能性もある。
来年発足のオバマ新政権下で両政府間の火種にも発展しかねない。

司令官は5日の講演で海兵隊の移転完了について「当初予定の14年末より少し長くかかるかもしれない。場合によっては15年にも終わらないかもしれない」と発言した。



220927 北海道似湾編 カケス 6の2

IMGR074-10

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
  カケス 6の2


そうした保君は、間もなく駈け戻って来たが、その右の手には嘗て私が見たことの無い刃物を持って居た、その刃物は刃部の部分だけがピカピカ光って居て、母が野菜を刻む時に使う包丁に似た形の物であったが、どっしりと重量感のある刃物(後日それが鉈と言う刃物であると言うことを知ったのだが、その時には判らなかった)を持って居た。

その保君は、早速跳釣瓶の井戸の傍にある雑木の茂みの中へ飛び込んで手頃な木を二本切って来た。

「オイ、お前その木で何を作るんよ。」と私が言うことには答えないで、保君はその鉈を振って切って来た木を削って居たが、やがて二本の木刀が出来あがった。

「オイ、出来たぞ。これであのヨモギを全部二人で叩き切るんだ。」と言って、保君は私にその木刀を一本私に手渡した。

私と保君がその木刀で枯ヨムギを縦横十文字と、「エイツ、ヤツ」と言う気合をかけて、盛んに薙ぎ倒して居ると、そうした二人の激しい気合を聞いたからであろうが、ヒョッコリと兄が出て来て、「オイ、二人共面白そうだなあ、一つ俺にもやらせろ」と言って、保君の木刀を借りた。




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「ウム、こりゃ面白いぞ。」と言って、夢中になって跳廻っている間に、保君が更に一本の木刀を作って来たので、それからは三人が揃って、思い思いに「エイッ、ヤッ」と言う気合をかけてその枯ヨムギのある所を跳廻って、アッと言う間に全部の枯ヨムギを薙ぎ倒してしまった。

私の母は千変万化と言った状態で、縦横無尽と跳廻って居る様子を、それまで「ハハハハ」と笑いながら傍観をして居たのだが、私達がその全部を薙ぎ倒してしまうと、「これを全部適当に縄で縛って、物置へ積んでおくれ。」と言って、引越荷物に使ってあった縄を持って来た。

私達は、その縄で母も混えた四人がかりで適当の丸さに束ねて、それを私達少年三人の手で、物置へ運んだのであったが、その枯ヨムギの焚付けは、翌年の春まで母を喜ばしたものであった。