Cameraと散歩

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150209 変見自在 朝日に生きる

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満州帝国があったころの満州は輝いていた。
ここはもともと清王朝を建てた満州族の聖地で、猥雑な支那人などは立ち入りすら許されなかった。
「箸を立てておけば木になる」と言われる肥沃な大地はまた石炭、石油などの地下資源にも恵まれた文字通りの豊饒の地だった。


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しかし清が日本に負けて威光が薄れとすぐ支那人がどやどや入り込んできた。
北からは亡命ユダヤ人が、さらにレーニンの革命後は白系ロシア人も万単位で流れ込んできた。


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日本はそこを支那人に蚕食させることに責任を感じていた。
満州族を復興させ、支那人にマナーを教え、できれば五族協和の楽土にできないだろうかと。
それで甘粕正彦男装の麗人川島芳子が天津に幽閉されていた溥儀と夫人婉容を脱出させて、昭和7年、満州国が成立した。


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北辺の孫呉に至るまで巨大な火力発電所がつくられ、首都新京や哈爾濱ハルビンなど主要都市は広い街路を縦横に廻らせ、上下水道を整え、寒い冬のために都市集中暖房まで行き渡らせた。
交通インフラも地上の満鉄に対応して満州全域と日本、支那とを結ぶ満州航空も発足させた。


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文化面も力を入れた。
李香蘭を育てた満州映画協会が開かれ、哈爾濱にはオペラハウスが置かれ、演奏者のほとんどが亡命白系ロシア人ハルビン交響楽団がそこで演奏会を開いた。
世界的な音楽家も招かれた。
ユダヤ系のピアニスト、レオ・シロタの演奏をここで聞いた山田耕筰が感激して日本に招き、彼は終戦の日まで日本人奏者の育成に努めている。
ーー略ーー


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それほど近代化された都市と生活基盤をもつ満州国があの短時日にどうして創り上げられたか。
ーー略ーー
満州国もまた台湾経営と同じ。
日本政府の資金と投資によって生まれたが、終戦の年、この近代国家のすべてが変えられた。


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日本降伏を前に150万ソ連軍が攻め込み、戦争とは強姦と略奪と殺戮だということを初めて日本人に見せ、生き残り兵士を奴隷として連れ去った。
彼らの略奪は徹底していて満航の輸送機から孫呉発電所まで持ち去った。
ソ連軍の後に支那軍が入り込み、残ったものすべてを持ち去った。
ーー略ーー


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集中暖房のあった近代都市は彼らの糞便にまみれて消え去った。
今の満州は東北地方と名も改め、支那の中にあって最貧の地域に落ち込んでいる。
朝日新聞は「もう必要ない」と誰もが思っている経済大国支那へのODAについて東大教授、高原明生に存続か否かを聞いた。
彼は「東北地方の貧困と劣悪な衛生」は万人が認める。
ここにODAを出せばいいと言った。
かつてそこがどうだったかもこの学者は知らない。
ーー略ーー




週刊新潮 変見自在 高山正之 朝日に生きる より抜粋