Cameraと散歩

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160615 ネロは偉かった

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変見自在 高山正之

ネロは偉かった


ローマ帝国は宗教に寛大だった。
だいたいローマ人の祖からしてギリシャ神話の美の女神アフロディティの息子アエネアスで、トロイ戦争に負けて海を渡ってローマにきたことになっている。
だからローマはギリシャの神々をそのまま受け入れて信仰していた。
ギリシャ神だけでは飽き足らず、中東で人気の太陽神ミトラも入れたし、エジプトに遠征するとエジプトの神イシスも連れて帰ってきた。
日本に似た多神教国家だった。
しかし何でもいいわけではなかった。
キリスト教は受け入れなかった。
ネロはぺテロを逆さ十字架にかけ、パウロの首も刎ねた。


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時代が下がってコンスタンティヌス帝なると折角の先祖の遺訓は忘れ、キリスト教を公認してしまう。
彼らは途端に牙を剥いた。
我々はローマ帝国公認の唯一の宗教だと言い、ゼウスもミトラも迫害してその神殿を壊していった。
狭量さは同じキリスト教の宗派にも及んだ。
東方正教会はミサのパンにイースト菌を使ったというだけで破門され、教会は要らないと言ったアマン派は石にくくられて川に投げ込まれ、プロテスタントは見つけ次第火炙りにされた。


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新天地に出たスペイン人はキリスト教化を口実にカリブ海の民もマヤの民も皆殺しにしていった。
彼らの狭量さは現代にも生きる。
NATOセルビア空爆ウクライナに干渉するのも理由は一つ。
セルビア人やロシア人が東方正教会だからだ。


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そのキリスト教は16世紀の日本にやってきた。
日本には八百万やおよろずの神がいる。
もう1人増えても日本人は気にしなかった。
しかし狭量な彼らはローマと同じことをした。
高槻城に入ったキリシタン大名高山右近は即座に城下の神社仏閣を壊していった。
彼らは信徒以外は人間扱いもしなかった。
キリシタン大名は硝石1樽を女50人と引き換え、イエズス会はその女たちを奴隷に売って大金を稼いだ。


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日本はローマより偉かった。
秀吉は宣教師に神社仏閣と仲良くするよう、それから奴隷売買は悪いことだからやめるよう説得した。
10年待ったが、反省がないので26人を処刑した。
徳川幕府もこの狭量の宗教を諌めた。
道を外れた民には踏み絵を踏むだけで許した。
異教徒は皆殺しにするキリスト教では考えられない寛容さだった。
しかし彼らは反省もなく島原の乱を起こす。
この経緯を踏まえ日本はキリスト教を邪宗として禁じた。
世界で初めての試みで、おかげで日本は宗教戦争から離れて暮らすことができた。


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この禁令は明治維新以降も五榜ごぼうの高札に掲げられて有効に推移した。
こうした日本の対応はときに悪しざまに罵られる。
例えば司馬遼太郎島原の乱に触れた作品で「日本史の中で、松倉重政という人物ほど忌むべき存在は少ない」と書いている。
百姓苛め、特に切支丹は親子で弾圧し、一揆を起こさせたと続ける。
しかしこの宗教の持つ危うさには触れない。
最大限の非難をしながらその根拠は出所不明の文書で、そこに「最も残虐な蓑踊り」が出てくる。
百姓に蓑を着せて火を放つ。
百姓は踊り狂うように焼け死んでいくと。
何と残忍なと思う。
同時に日本人がこんなことを発想するだろうかとも思う。


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調べると松倉の時代の前にラス・カサスが『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を出している。
スペインの残虐さがそれで知れ渡った。
その中に蓑踊りの図とそっくり同じ「インディオの体に藁束を縛りつけて焼き殺す」描写が出てくる。
追い出された日本はこんなに残虐だったとキリスト教徒がその残虐話を流用したと考えられないか。
いま「長い弾圧の歴史をもつ長崎の教会群と26聖人を世界遺産に」と政府が言い出した。
信教の自由はあっていい。
しかし歴史評価は違う。
先人が示した叡智をなぜ現代の日本人か貶めるのか。

’15.1.22 週刊新潮より