Cameraと散歩

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160719 杉浦信之の愚

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変見自在 高山正之

杉浦信之の愚


今は死語となったユーゴスラビアは「南のスラブ」ほどの意味を持つ。
その言葉が示すようにここはロシア人などと同種のスラブ人の国だった。
それが「二つの文字」を使い「四つの言葉」を語り「六つの共和国」に分かれて辛辣に戦った末についには消滅してしまったのは「三つの宗教」のせいだった。


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三つの宗教とは東方正教会とローマン・カソリックイスラムのことだ。
本来はこの辺のスラブ系は東方正教会を信じていた。

15世紀、コンスタンチノープルを落としたオスマントルコが本格的にこの辺にやってきた。
ワラキアのドラクールが頑張って彼らを追い返したのもそのころだが、カソリックイスラム以上に正教会を憎んでいた。


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だからイスラムの欧州侵攻を一時的にでも阻止した偉業は逆にドラキュラ伝説に仕立てられ、貶められた。
トルコ勢はそれでもひたひたと侵攻した。
その版図に入れられた民は正教会を捨てイスラムに改宗する者もいた。

ボスニアボゴミル派の人々もそうだった。
彼らは改宗した分、異教徒には寛容で、レコンキスタグラナダを追われたユダヤ人も歓迎され、ここに大きなユダヤ教徒のコミュニティもできた。


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対してセルビアは改宗を拒否して抵抗した。
オスマントルコのメフメト2世はセルビアの復活を恐れ、セルビア人の故郷コソボを取り上げ、イスラム系のアルバニア人を入植させた。
京都から日本人を追い出して在日の街にしてしまうと思えば分かり易いか。


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クロアチアは早くからカソリックに改宗し、オスマントルコが去った後はボスニアを挟んでセルビアに対抗する勢力に成長した。
これがもろにぶつかったのがヒトラーの時代だった。
ナチについたクロアチアはユダヤ人とセルビア人をヤセノヴァツ強制収容所に送り込んで殺した。
その数は100万人に上った。


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戦後、報復に立ち上がろうとしたセルビア人は独裁者チトーに抑え込まれ、逆にアドリア海の監獄島に繋がれて殺された。
彼もコソボに多くのイスラム教徒を移住させ、セルビアを弱体化した。

そのチトーが死に、ソ連が解体するとやっとセルビアの時代が来た。
ミロシェビッチは勝手をしてきたイスラム勢力を追い、クロアチア人への報復を始めた。


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報復は92年から始められ、その場所は両国の間にあるボスニア・ヘルツェゴビナが選ばれた。
世にいうボスニア紛争がこれだ。
捕らえられたクロアチア人は右手の薬指と小指を斬り落とされ、それで敬礼させられた。
3本指を立てて敬礼するセルビア軍の形を取らせて辱めるためだ。


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彼らはクロアチア人の囚人同士、お互いに性器を噛み切らせるゲームを強いた。
勝てば一命は助けられた。
相手民族の「種」を絶つ民族淘汰の形だ。
彼らはクロアチア人がやったように女を拉致して強姦した。
被害女性はクロアチア人だけでなくイスラム教徒も含まれたと国連調査官チェリフ・バショウニが報告している。


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女たちは接収されたホテルなど30カ所の施設に繋がれて凌辱された。
国連セルビア勢力の横暴を抑える国連保護軍を出したが、カナダ人、フランス人の将兵らがこの施設で性奴隷の饗宴を愉しんだとバショウニ報告にある。
女たちはやがて妊娠する。
中絶が不能になるまで胎児が大きくなったところで出所が許された。
これは民族の純血性を奪うだけでなく、民族的な結束を壊すための措置という。


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朝日新聞慰安婦の嘘を認めたとき、編集担当の杉浦信之が1面社告でこのボスニア紛争を引用し「慰安婦問題は今日的な戦争の性の問題でもある」とか利いた風な言い逃れをした。
ボスニアセルビア人がやったこと、内モンゴル支那人がやったことは単に女性への性暴力ではない。
彼らは相手民族の「種」の淘汰が目的で、だから女を辱め、男の性器も女の性器も破壊する。
女衒ぜげんとか金学順とか、まして居直り植村の出る幕ではない。


’15.2.26 週刊新潮より