Cameraと散歩

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170315 戻ってきた日本人

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 変見自在 高山正之

  戻ってきた日本人


日本人は、戦争とは勝ち負けが決まった時に終わると思っていた。
だから日露戦争では負けを認めたステッセルを乃木がねぎらった。

彼が軍法会議で死刑宣告を受けると乃木はニコライ2世に助命嘆願して彼を助けた。
その乃木が殉死したのを聞いてステッセルは匿名で香典を送っている。



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それが戦争だと思っていたら、米国は違った。
負けを認めた日本にマッカーサーはまず報復した。

彼は敵前逃亡した。
その恥をかかせた山下奉文にマニラ大虐殺の罪を問うて絞首刑にした。
マニラ市民は米軍の爆撃で死んだ。
その罪を彼になすりつけた。

本間雅晴はパターン死の行進の嘘で銃殺刑にした。
本間がコレヒドール島への総攻撃を命じた4月3日午前0時53分に合わせて刑は執行された。



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陰湿で汚らしい報復をやったマッカーサーは日本人にも復讐した。
GHQに入るなり「吊るすべき戦犯38人を捕まえろ」と言った。
数字はリンカーンのスー族の殲滅戦に因む。
大統領は白人に抵抗した部族の長38人を処刑台に並べて一斉に吊るした。

彼はまた1500人の宣教師を入れ日本人のキリスト教化を図る一方で靖国神社の解体を図った。
カナンの地でバール神殿破壊を命じたモーゼを真似た。
彼はローマの脅威カルタゴを倒したスキビオも真似て日本に軍隊の放棄、交戦権の放棄を命じ、そう書いた憲法を押し付けた。



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日本人の心の解体にも取り組んだ。
それが「あの無謀な戦争を起こし、女や子供を災禍に巻き込んだ戦争責任者の追求」だった。
陛下と陛下を取り巻く重臣たち、軍部のトップ、さらに一兵卒に至るまで「残忍な侵略戦争を遂行したもの」として糾弾した。

でも日本人は女子供を巻き込む戦争などやったことがなかった。
まして出征した夫や息子を待つ家族の上に原爆を落として恥じない国なんていうのは今度の米国が初めてだった。

野蛮はお前の方だという批判はGHQが検閲と逮捕で口を封じた。
そんな恐怖政治も日本人には初めての体験だった。

かくて戦犯探しがあおられ、東条の孫由布子は「本名も名乗れず、兄は教室にも入れなかった」。
「藍より蒼き大空に」と「空の神兵」を作曲した高木東六は戦後、その歌から逃げ回った。



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マッカーサーはまた国家は国民の敵だと言った。
日本人は「政府が再び戦争の惨禍を招かないよう」(マッカーサー憲法前文)対決しろと吹き込んだ。

国民と天皇を戴く国家を分断する分割統治は転向した家永三郎や発禁を恐れる朝日新聞によって予想以上に徹底された。
洗脳は十分とみて天皇の巡幸が許された。
GHQは「眼鏡をかけた小男は身内を失い焼け出された人々から罵倒と投石を浴びる」と読んだ。

しかし焼け跡に立たれた陛下を人々はぬかずいて出迎え、目を潤ませ、声の限り万歳を繰り返した。
日本はまだまだ健やかなことをGHQは思い知らされた。
巡幸は中断され、徹底した洗脳が再開された。

欧米は民主主義と文化の担い手だと教え、だから残忍な日本人は英語を学び、キリスト教に改宗して真人間になれと。



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戦後70年経った先日の英字紙にテンプル大のデジャリク先生が
「日本人は文化や歴史を生んだ白人に尊敬の念もない」
支那韓国が欧米に憧れ、学ぶのに日本はそっぽを向く」
「他国と共通する宗教も言語も持たない」偏屈国家だとそしった。

GHQがあれだけ洗脳したのに気がついたら元の日本人に戻って自由に暮らし、それでノーベル賞もイグノーベル賞も取っている。
そう言えばサンフランシスコ講和会議でセイロン代表ジャヤワルダナは
アジア諸国は日本が自由であれと切望する」
「自由な日本は我々の憧れだったからだ」と言った。

日本はダメになったと愚痴る人がいる。
そう思わない連中は世界中にもっとたくさんいる。



’15.12.31""16.1.7"の週刊新潮より