Cameraと散歩

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170504 押し付け責任

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変見自在 高山正之

 押し付け責任


少し前の朝日新聞に「押し付け憲法は真実ではない」と題した投書が載った。

「戦後、右から左まで新憲法をめぐり国民的な議論が沸騰した」「政府はGHQと共同で天皇制と民主化を模索し、議会も審議を尽くしたのが今の憲法なのだ」という。

「若い人はその経緯を肌で知っている世代の声に耳を傾けなさい」と。

あの時代を知る説得力ある意見に思えるが、投書者は中野区の「加藤某76歳」とある。

数えてみれば当時、小学生でしかない。

同世代から言わせてもらうと当時の記憶は空腹と焼け跡とパンパン狩りから逃げるお姉さんが家に飛び込んできたことくらい。

国民が憲法論議で沸いたなんて話は聞いたこともない。

どう書けば朝日新聞に乗るかを心得た吉田清治タイプの筆か、投書欄デスクが自分で書いたものか。

相当に嘘っぽい。



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だいたいあの憲法に国民は関知していなかった。

終戦の年の10月、GHQが憲法を変えろと命じた。

ポツダム宣言を読め。

お前らにそんな権利はないと拒否したら、即座にみんな追放か収監された。

しょうがない、松本烝治が翌年2月初めに試案を出したが、マッカーサーは一瞥もくれず、民政局のケーディスに「1週間で憲法を作れ」と命じた。

その際、彼は「軍隊を持たせない」「交戦権も認めない」「外敵からの自衛も認めない」とするマッカーサー・メモを渡した。

90年代まで生きたケーディスは「自衛を認めないのはあまりに非常識だから、独断で削った」と駒沢大教授の西修らに語っている。



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かくて急ごしらえの米国製憲法は2月13日に首相幣原喜重郎に手渡され、彼は「2月22日の閣議で承認せよ」と命じられた。

その日は米初代大統領ワシントンの誕生日。

日本を象徴する桜の木を切ったエピソードを持つ男の誕生日に日本を切り倒す憲法を呑ませる。

マッカーサーらしい悪意を感じさせた。

幣原は言われた通り22日の閣議で了承し、3月6日にその大要を公表した。

国民の右から左まで新憲法を知ったのはその時が初めてだった。

おまけにマッカーサーは新憲法にGHQが関与したことを一切報道しないよう命じていた。

習近平も驚嘆するくらい言論の自由の欠片かけらもない時代だった。



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草案を審議する帝国議会も同じ。

GHQに逆らえば議場から摘み出され、戻ってくる者はいなかった。

議員は変節し、GHQ欽定憲法と名付けようというものまで出た。

GHQは成立を待って新憲法の公布日を11月3日に指定してきた。

近代日本を築かれた明治天皇の誕生日、明治節だ。

その日に滅びの新憲法を日本に与える。

マッカーサーの陰湿な笑みが見えてきそうだ。



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つまり朝日が載せた投書には真実の一片もない。

担当デスクもそれは百も承知で、でも読者は馬鹿だから構わないと思っている。

だだ読者もまるっきりの馬鹿ばかりでなく、首を傾げる者もいる。

朝日はそれにも手を打った。

8月15日付の評論家柄谷行人の憲法談義が次の一手だった。

柄谷は「憲法が押し付けか自発的か」は問題ではないという。

だって朝鮮戦争の時「米国が再軍備を持ちかけたが、日本は抵抗した。日本は自発的に9条を選んだのだ」と。

これももっともらしいが、米国の意図を無視している。

あの国の戦争は昔から形がある。

ピークォート族をやるときはモヒカンに銃を持たせてやらせた。

日本をやるときは支那人やフィリピン人に銃を持たせた。

目下の朝鮮戦争ではフィリピン人は使えないから黒人を使ったが、品薄になってきた。

で、日本人を武装させる気になった。



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日本人はそれを知っていた。

「お前が創った憲法に軍隊も交戦権も認めないとある」と言って拒んだ。

米国の「押し付け責任」をはっきり問うた。

白人の横暴を免れる緊急避難行為だった。

それを持って国民があの愚かな憲法を「納得した証拠」とはよく言う。





’15.9.10の週刊新潮より