Cameraと散歩

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170828 日経商法

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変見自在 高山正之

 日経商法


弘法大使が高野山密教道場を開いてから今年が1200年目に当たる。

一日、南海電車からケーブルカーに乗り換え、伽藍を巡り、奥の院を訪ねた。

細道の両側には戦国の英雄たちの墓標が並んで、さながら講談本の世界だった。

その日は当地で一二を競う宿坊のお世話になった。

応接の間には骨太の見事な筆になる般若心経の額がかかっていた。

落款は「登紀子」とあった。

聞けば、あの「日本と聞くと腐臭を覚える」とか言った加藤登紀子本人の筆だった。

その筆運びを見ると彼女も何とか真人間に戻ったことが判る。

宿坊の佇まいも素晴らしかった。

特に鬱蒼とした森を背景に千古を香らせる庭がいい。

外人には評判という足立美術館のそれとはゆかしさが違う。

宿坊もそれを意識してひところ外人客を入れましたと女将が語って、涙ぐんだ。

外人客に支那人が混じっていた。

早立ちした彼らを見送って部屋の片付けに行って「卒倒しました」。

トイレの中から客室の壁、床の間の掛け軸から夜具に至るまで人糞がべっとりと擦り付けられていた。

壁を塗り替え、布団はすべて焼却して、以後、支那人は「すべてお断りしています」とのことだった。



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この話は遠藤誉「卡子チャーズ」の一場面を思い出させる。

彼女の父は満州の新京で製薬会社をやっていた。

終戦後、八路パーロがこの近代都市になだれ込んできた。

支那人」の上に「共産党員」だ。

街はたちまち破壊され、廃墟になっていった。

彼女の家にもボロを着た八路が来て泊まっていった。

翌朝、彼らは歌人の服に勝手に着替え、食べ物をさらっていった。

彼らが寝た「緞子どんすの布団は大便で汚され、姉の琴もわざわざ壊していった」。

美しいものは汚さねば気が済まない民族性による。



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彼らは他にも特性を持つ。

一つが残忍さだ。

日本人は日清戦争で初めて彼らが捕虜を取らないことを知った。

彼らは日本兵を捕らえるとまず耳鼻を削ぎ、目をえぐり、男根を切って喉に押し込む。

そして手足を切断して殺した。

通州事件では220人の日本人居留民が殺された。

男は日本兵と同じやり方で殺され、女は一日犯されたあと局部に棒杭を突っ込まれていた。

性器損壊は漢民族の変わらぬ特性だ。



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そして彼ら民族の最も顕著な特性が「嘘に身分の上下はない」ことだ。

戦後、それをやったのが周恩来

被害者は全日空岡崎嘉平太だった。

彼は上海暮らしが長いのに、日支友好に明け暮れた。

本業の方は事故続き。

日本人は死なせてもとうとう角栄に国交を開かせた。

日本の不幸を生んだ岡崎に周は「井戸を掘った人を忘れない」と言った。

「落とし穴」の間違いだろう。

岡崎への褒美は1987年4月、彼の誕生日に全日空の北京乗り入れを認めてやったことだ。

歓迎式はあの人民大会堂でやった。

全日空はお土産に魔法瓶をお一人様1個配ったが、若き日の薄熙来ら高官は何回も列に並んで2個も3個も持って行った。

支那はそれほど貧しい時代だった。



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鄧小平も騙しは得意だった。

松下幸之助に泣き落としをかけ、工場進出を乞うた。

ひとたび製造技術が支那に持ち込まれれば後はいつでも何でも盗れる。

彼はこのときも周恩来の蒔いた「尖閣の嘘」に水をやるのを忘れなかった。

そして3年前。

尖閣に酔っ払い船長を出して騒ぎにし、松下の工場に片っ端から火を放った。

掘った井戸はもう埋めたという意味だ。

山東省の松下の工場は危険を感じて撤退を決めた。

出て行くなら身代金を払って行けと脅された。

人質だったことを初めて知った。



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支那のビルズベリーは「支那は嘘つきで性悪だ」と今ごろ書いている。

松下と岡崎以外の日本人は皆知っていることだ。

特にこの本を出版した日経は熟知していて「支那はとてもいい国だ」の嘘を流しては儲けてきた。

その支那も終わり。

もう去り時と読んで、では「この本で儲けよう」なんて少しあくどくないか。

’15.11.19 の週刊新潮より