宮崎哲弥の時々砲弾
転 轍 機
「憲法には国家の自衛権が書かれていません。GHQ(連合国軍総司令部)が憲法草案を作った時、日本の再軍備阻止という考えがあったことは間違いない」
「9条1項はこのままでいいが、2項を小・中学生が読めば『自衛隊は憲法違反だ』とおもってしまう。戦争の放棄は大事な価値観として受け継いでいくべきですが、国家の自然的権利である自衛権を9条に書き込むことも大事です」
この発言の主は安倍晋三首相ではない。
旧民主党元代表にして民進党凌雲会会長の前原誠司氏である。
色褪せた古証文のような、大昔に発された談話でもない。
2013年3月7日付けの読売新聞朝刊に掲載されたインタビューの一説だ。
前原氏は、現行憲法の原案がGHQによって、再軍備を阻む目的で起草された、という認識を顕示している。
民進党は安倍首相の「押しつけ憲法」論の撤回を執拗に求めているが、先の代表選でも蓮舫氏に次ぐ有力候補者だった前原氏のかかる見解は許容するのだろうか。
また前原氏も現在の執行部の憲法改正論議に望む姿勢を容認するのだろうか。
前原氏はこのインタビューで、9条のみならず緊急事態条項の新設や二院制の是非、改憲要件の緩和と検討すべき”課題”を列挙したうえで、最後にこうも述べているのだ。
「明確に憲法改正に反対している共産、社民以外の政党で、先ほど申し上げたような改正メニューをどうしていくのか議論し、決着させるべきです」
「憲法は政局的なとらえ方をすべきテーマではない」
現在、憲法審査会に臨む民進党の姿勢とは著しい違いを見せている。
「押し付け憲法」論の当否はともかく、GHQや極東委員会が制定過程に深く関与したことは憲法史家、古関彰一氏の一連の著作を読めば明らかだ。
以前にも指摘したが、憲法66条2項の所謂「文民条項」は、極東委員会の中華民国政府代表の要請によって最終段階において追加された。
日本側には慮外の修正であった。
そしてダグラス・マッカーサーが直ちに要求を容れたと知るや、中華民国代表は「首相ならびに全閣僚は文民とするとの条文が憲法草案に挿入されるとの確証を得たとの書簡を最高司令官から受けとったことに満足の意を表する」と謝意を伝えたという(『日本国憲法の誕生』岩波現代文庫)。
この一事をみても、前原氏の「歴史認識」は正しいといわざるを得ない。
大統領選の最中、それも8月15日に、アメリカ副大統領のジョー・バイデンが「核兵器を保有できないように、われわれが日本の憲法を書いたことを、彼は理解していないのではないか。学校で何をやっていたのか」とトランプの「日本核武装容認発言」を非難した。
もっとも後日、トランプ自身はこの発言をしたという事実そのものを否認しているが。
しかし、バイデンの日本国憲法観については、トランプが勝利し次期大統領に決まったいま、もう一度その含意するところをよく探察しておく必要がある。
バイデン発言の内容は、アメリカの、とくにリベラルやウィーク・ジャパン派のあいだでは特筆に値するような認識ではない。
リベラル系の新聞や雑誌に「日本の平和憲法はアメリカ人が書いた」という表現が、なんの留保も、注釈もなしに出てくることすらある。
要するに憲法によって核保有を含む重武装を封じた代償として、日米安全保障条約における片務性を引受けている、というのが彼らの本音なのである。
この構造は湾岸戦争以降、徐々に変容を遂げてきたが、トランプ政権の始動で急速に崩壊するだろう。
トランプが片務的防衛義務の大幅軽減や放棄を主張する限り、日本としても安全保障の前提条件が変わったことを認めざるを得ない。
私たちは好むと好まざるとに拘わらず、対米自立、自主防衛へと路線を転じることになるのだ。
2016/12/08の週刊文春58巻47号から