Cameraと散歩

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190423 履歴稿 まえがき

IMGR052-12

履 歴 稿    紫 影子

まえがき

凡そ、人と言う人の人生には、各人各様の、さまざまな生きかたがあるのだが、その少年の日に於て、誰もが描く夢と言えば、栄達を果たして社会的な地位を獲得したいと念ずる者と、蓄財に成功しようと志ざす者との二者に尽きると思う。

そうして、その夢を実現しようと思う各人が、各自の全能を、そのことに傾注して努力をするのであるが、その家庭の環境や、人と時と言った、あまねく自分が接触をする一切の条件に恵まれて、身心が共に健全であった場合には、やがてその努力が実って、その成果に於ては大小の優劣があっても、一応社会の成功者として自己満足の出来る人生を過ごし得る者と、言えると私は思う。



併し、健康その他の諸条件のうち、只の一つでも欠けた場合には、唯単に、努力をすると言うことのみでは、その少年の日の夢を実現すると言うことは、なかなかに困難なことであると思う。



併しである、不測の事態が発生して、そうした困難な場合に遭遇をしても、あくまでも自分の夢を捨てずに努力を続ける者は、よしんばその夢を、自らの手で実現をする機会に恵まれなくとも、子孫には、必ず良風を残す結果を生むと思われるので、その人の人生には決して悔は残らないと思う。

しかし、途中でその夢を捨てて挫折をした者は、自暴自棄的な感情に支配されて、自身の堕落はもとよりのこと、その子孫の千載にまで悔を残すことになるであろう。




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昭和43年の2月7日を以て、66歳と言う齢を迎えた私は、人生も既に終りに近づいた者ではあるが、遂ぞ成功者としての資格には成り得なかった、と言っても、少年の日に描いた希望の夢は、今もしっかりと自分の胸に抱いている者である。



私は、明治35年の2月7日に、香川県綾歌郡加茂村(現在の坂出市加茂町)では、一応、素封家としての列に、その名を連ねて居た家の二男として生まれたのであったが、4歳の時に、その生家が破産をしたので、明治39年の5月に、父母に伴われて同県の丸亀市の土居町に移転をしたのであった。

そして其処では、10歳の春までを一税務署員と言う平凡な家庭の子として育ったのであったが、没落した家運の再興を目標とした父の発意によって、明治45年の4月に、父母と兄そして弟と言った5人の家族が、遥遥、北国の北海道へ移住をして今日に至ったものであるが、自分の将来に私が夢を抱いたのは、この時の移住第一歩の土地であって、胆振の国にある勇払郡の似湾村(現在は同郡の穂別町字栄)に住んだ時代のことであった。



当時、私の描いた夢と言うのは、それを空想と言えば空想と言える類のものであったかも知れないが、”鶏頭となるとも、竜尾となるなかれ”と言った気魄の栄達慾に燃立って居た、併しその終局の目標としては、”何か社会に裨益するものを書き残したい”と言うことを念願して居た者であった。




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その後の私は、現在までに居を変えること20回、そして職を変えることが4度と言うような激しい変転をした者ではあったが、嘗て少年の日に描いた自分の夢を、あくまでも貫徹しようと言う意志には、聊かな変化も無かったので、或時代には弁護士たらんとして、又或時代には政治家たらんとして勉学に之努めた者ではあったが、その当時の義務教育であった尋常科6年の学業を卒えた後は、その勉学の一切を独学に因らなければならないと言う境遇の私であったから、当然、無理に無理を重ねなければならなかったのだが、私は決してめげなかった。

併し、そうした無理の累積が、やがてそれは徐徐にではあったが、私の健康を虫食んでいった。



また、人生の明暗に大きな関係を持って居る配偶者も、26歳に始まった結婚が、2人は合意離別、2人が死別、そして現在では5人目の妻と生活をして居ると言った状態であるから、66年と言う長い年月を、少年の日の夢を抱いて只ひたすら歩き続けた自分の人生を、今日振返って見ても、幸福な人生であったとはとても思えない、と言うのが偽らざる現在の心境である。

併し、そうした私ではあっても、まだ少年の日に描いた夢を捨てようとは思って居ない。

と言うことは、”何か社会に裨益するものを書残したい”と言う終局の目標がまだ残って居るからである。




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この”履歴稿”は、私のそうした執念が書かしたものであって、その内容は、表題が示して居るように、私の人生記録である。

したがって、それを言うならば、私の自叙伝であるのだが、従来活字になって居る自叙伝と言えば、数少ない立志伝中の人か有名人と言った人人のものに限っているのだが、それ等の人人は、いずれも人生の勝利者の座に在る人人と言う関係もあって、一般庶民の我我が直接身近に感じ取れるものが少ないように思われるので、勝利者の座に在る人人とは反対に、生家が破産をしたことによって始まった逆境の中を、少年の日に描いた夢を実現しようと、只ひたすらに歩き続けたものではあったが、遂に実らなかったと言う、それを言うならば、人生の落伍者の座にあるとも言える私は、この”履歴稿”を、一般庶民の人人が身近に感じ取って明日の参考になったならばと思って起稿をしたものである。

しかし、その効果が果たしてどうかと言うことは、読む人人の判断に委ねるしかないのだが、幸い多くの人人に本稿が読まれたならば、”何か社会に裨益するものを書残したい”と言う終局の目標を果たすことになるので、私はとても嬉しい




撮影機材
Nikon FA