Cameraと散歩

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210509 香川県編 第四の新居 3の2

IMGR062-01

履 歴 稿    紫 影子  


香川県
 第四の新居 3の2


勝手口の角から、右に廻った家の真裏は外塀との間が10米程あって其処に、石榴の木が5本と橙の木が1本あった。 そして石榴の木には直径が8糎程の実が沢山なって、やがて実の熟する頃ともなれば、外皮の1箇所が大きく裂けて、小粒でその味が甘酢っぱいような淡紅色の実が、その割目から覗いて居るのが、丁度鮭の筋子のように見えて、とても綺麗であった。

また、橙の木が濃緑色の葉裏に、黄色い実をつけた時も美しかった。

この橙の木の傍にポツンと私達子供の遊ぶ家が1軒建って居たが、その広さは六畳敷であって、前と左右の三方が雨戸になって居た。そして、床の高さが1米程あるのを正面と左右の三方から階段で這入るようになって居た。

家の北側は外塀までが30米程畑地になって居て、其処には、母が野菜類を作って居た。




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第四の家時代の私の思い出としては、此の外に1人で良く土器川へ遊びに行ったことや、それは只一度きりのことであったが、土器八幡の祭典に1人で行ったこと、または此の第四の家から銭湯へ行くのには、第二の家の前を通って行くのであったから、其処から銭湯への途中に在る例の枝垂柳の在る屋敷の前を通る時に、嘗て幽霊を真似て1人の婦人を吃驚させた失態を時折思い出しては、「馬鹿げたことをしたもんだな」と反省をしたこと等があるのだが、その最も主たるものは、私が香川県で最後に住んだ家であったと言うことであった。

それは尋常科四年生としての学業を優等の成績で卒業をした私が、欣喜雀躍として家に帰ったのだが、その時「ホォ、優等生か、義章、良かったなぁ」と喜んでくれる筈の母が、私から受け取った賞状と賞品を凝っと見つめて、溜息をついて居た。




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「お母さん、どうしたの。どこか悪いのと違う」と、私の母の顔を覗き込むと「いや、どこも何とも無い。でもなぁ、もうお前は城北の学校へは行けんようになったのだよ。そして4月になったら、皆が一緒に北海道と言う遠い所へ行くことになったのだよ」と母はしげしげ賞状と私の顔を見比べて居たが、その時の私には、北海道と言う所が何処に在るのか、どんな所なのかと言うことは全然判って居なかった。
そして、なぜ北海道と言う遠い所へ行くようになったのかと言うことも判断をする力は無かったのだが、沈痛な面もちの母の表情から、私は家が何か容易ならぬ状態に置かれて居るんだな、と言うことが子供ながらも窺えた。