Cameraと散歩

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210825 移 民 3の3

IMGR069-13

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
 移 民 3の3


 岩見沢駅から、室蘭本線の列車に乗換えた私達は、終着駅室蘭との略中間に在る沼ノ端と言う駅に降りた。

 その当時の沼ノ端は、駅前に12、3戸の家屋が在ったに過ぎない田舎であったが、私達の行かんとする、「鵡川川」の流域地帯と、日高路へは鉄道施設の関係から、この沼ノ端が中継箇所になって居たので、直線に駅前から百米程行った所に、新井と言う旅館が一軒あった。

 沼ノ端駅で、長途の汽車旅行を終った私達は、この新井旅館に一泊した。
そしてその翌朝、私達の家族は丸亀市の第三の家時代に裏の家に住って居た、高橋と言う特務曹長の実兄で由佐喜太郎と言う人が居る鵡川村(現在は町政)の生べつ(現在は旭岡)と言う所を目標に出発したのであった。




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 私達5人の家族は、旅館が仕立ててくれた荷馬車の上に筵を敷いて、転落防止のために、外枠を施した車上の人となって、その夜の宿泊予定地であった鵡川村の本村に向った。

 私達の故郷香川県では、こうした荷車は牛が索いて居たので、私達としては馬車と言う物に乗ったのは、この時が始めてであった。

 当時、北海道の郡部にある道と言う道は、凸凹がとても多かった。
そして馬車がその凸凹を越す都度、轍がゆさぶる震動に、私たちは閉口したものであった。

 沼ノ端から鵡川への道は、新井旅館の前から四粁程直線の道を行くと、其処に太平洋岸の漁村勇払があるのだが、現在では国策パルプの工場があって大変賑って居るが、当時は海岸に十戸程の漁師の家が点在して居るに過ぎないと言う寂しい田舎であったが、其処までの路傍が、左右共に雑木林になって居たので、私は其処から未開地の北海道らしさというものを、しみじみと感じたものであった。




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 沼ノ端から勇払へ出た直線の道は、紙の都の苫小牧から、海岸線に添って遠く日高路に通じて居る国道と丁字路になって居て、私達はその国道を左に曲って鵡川へ向かったのであった。

 勇払鵡川との中間に浜厚真と言う半農半漁の部落があったが、この部落も勇払と五十歩百歩の部落であった。
 私達を乗せた荷馬車は、その日の黄昏時に鵡川村本村の市街地に着いたのだが、その当時の、沼ノ端の新井旅館と連絡営業をして居たらしかった、布施という旅館へ私達は一泊をすることになった。

 鵡川村の本村と言う所は、市街地と言っても一粁程の所を日高路へ通じた国道の両側に、商店と一般人の家屋が建並んで居るにしか過ぎない所であった。

 勿論、市街地の中央部には、小学校、役場、郵便局、警察分署等の建物はあったが、それとてもあまり立派な建造物とは思えなかった。