Cameraと散歩

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081103 消えゆく山里の原風景

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'08/11/03の朝刊記事から

論説委員室から

      浜田 稔



消えゆく山里の原風景

<太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。>

 詩人の三好達治の「雪」の一説から思い浮かぶのは茅葺きの家だ。
冷たい雪が温かく屋根を覆い、静かに夜が更けていく。
日本の山里の原風景である。

 十勝管内新得町高橋八重子さん(77)宅は、そんな古き風情にあふれている。
築60 年。
「茅葺きの家は夏は涼しいし、冬はあったかい。住みやすいですよ」

 黒光りする太い梁や柱。
屋根は二度葺き替えたが、土台や柱は昔のままだ。
十勝沖地震など天災にもびくともしなかった。

 入植後の道内では薄板を重ねた柾葺きもあったが、十勝は茅葺きが少なくなかった。
最初はササ小屋や掘っ立て小屋、それから茅葺きに建て替えたようだ。

 茅葺きの屋根材には、近場で手に入る ヨシやススキなどを用いた。
十勝の中でも豊頃町でとりわけ目立つのは「十勝川下流域にヨシ原が広がり、調達しやすかったからでしょう」。

 そう語るのは、趣味で茅葺き家を写真に残している同管内芽室町の斉藤博さん(71)だ。
この夏、撮りためた記録を一冊の写真集(非売品)にまとめた。

 1997年から3年間で撮影した母屋や納屋は78棟を数えた。
現存する十勝の茅葺き家をほぼ網羅したという。



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 中には屋根が崩れかけたり、空き家になって傾いたりした家もある。
なにしろ建ったのは古くは大正時代、新しくてもせいぜい戦後間もないころだ。

 「撮影からしばらくして、気が付くと取り壊されている。そんな状態だから、あれから20棟ぐらいは減ったのでは」と斉藤さん。

 財団法人・都市農山漁村交流活性化機構が2001年に実施した市町村調査では、全国で約四万戸が確認された。
 回答率が6割と低く、実数はもっと多い。
とはいえ、里山を彩っていた伝統家屋が全国的に減少の一途をたどっているのは確かだ。

 昔は、地域ぐるみで屋根の葺き替え作業をしていた。
その伝承技術は途絶え、今では茅葺き職人も極めて少なくなった。
道内では本州から職人を招かなければ、葺き替えられない。

 高橋さん宅も15年前にご主人が亡くなってからは、屋根の修理もままならなくなった。
4年前に倒木で傷んでからは、屋根全体をトタン で覆っている。



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 田園生活を好む欧州では今でも、新築の茅葺き家が見られる。
日本では建築基準法の規制があって、ほとんどの地域で不燃材の屋根でなければ家を建てられない。

 それでは失われるばかりだと、宮城県石巻市は2年前、規制を取り払った地域を設けた。
茅葺き家のある景観で地域の特色を生み出そうという試みだ。

 新潟県柏崎市では、古い民家が有志の手で修復され、宿泊もできる地域の交流の場として復活している。

 ただ、残念ながら、こうした取り組みは全国的にも限られているのが実情だ。

 岐阜県白川郷の合掌造り集落は、世界遺産にも登録された。
その歴史的価値には及ばないにしろ、農山村の古い家は地域の伝統と郷愁を色濃く残している。

 茅葺き家は「古くさい」「修繕が手間」と疎まれがちだ。
そんな中で、大事に守っているのは、先祖から受け継いだ家に愛着を抱いているお年寄りたちだ。

 世代交代とともに、茅葺き家はさらに少なくなっていくだろう。

 あと10年、20年たったらー。
その風景はどう変わっているのだろうか。