Cameraと散歩

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220320 似湾村の新居 5の5

IMGR072-17

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
 似湾村の新居 5の5


その当時の私は、生べつと言う所がどれ程の距離に在るのかと言うことは、全然意識して居なかったものであったが、村境の峠も越えて、凸凹の多い密林の道を、生べつへ、生べつへと、ひたすらに足を急がせたのであった。

そうした私が、中杵臼の部落に近づいた時に、それを熊の襲撃を避けるための物だと言って居たが、首から下げた鈴の輪を、チャリン、チャリンと鳴らしながら 数頭の駄馬が、荷鞍の両側に私達の引越荷物を緊縛してその鞍上の主人に馭されながら、似湾へ向って進んで来た。




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私は、この駄馬の群を路傍に避けて、その数を数えたのであったが、その頭数は7頭であった。

「私達の引越荷物が来た。」と、小躍した私は、其処から引返してその駄馬の後を追ったのだが、少年の私には、パカパカと駆足で 進んで行く駄馬の列には、とても追っては行けなかった。

息せき切った私が、新居から五百米程の所まで帰った時に、荷物を卸し終って生べつへ帰るこの駄馬の列に逢った。

私が、新居へ帰り着いた時には荷物が一応整理されて居て、多盛老人から教わって作った十八立入の石油空缶を適当に切った即製ヘツツイで母が昼食の準備中であった。

新居に 移った翌日、母の指図に従って、兄と二人で私は終日住宅内外の清掃と小修理をしたのであったが、香川県時代に住まった家には、硝子戸と言う物は一枚も無かったのだが、この新居住宅は、玄関の入口も、窓も、その一切が硝子入であったのが、私には珍しかった。




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私は、この日始めて硝子拭きを経験したのであったが、とてもその作業が辛いものに思えた。

硝子拭きを終った私達兄弟は、それまで 嘗て見たことのない跳釣瓶と言う原始的な井戸の修理を母に言いつかったのだが、井戸の枠は未だ腐朽しては居なかった、併し、井戸の右側に設けて在った流場はその儘では到底使用に堪えないまでに朽ちて居たので、引越荷物の容器として用済になった、莨の空箱を利用して応急の修理をした。

新居の寝室は、奥の八畳間であって、全員の家族がその部屋に寝るのであったから、お互いに窺屈ではあったが、「私は、既に北海道で成功をして居る。」と、嘗ての丸亀時代に、第三の家で父に豪語をした由佐校長が、校舎に併設された六畳間二室の住宅に、五人の家族が起居をして居たのと比較して、狭い家でこそはあったが、門柱の在る一戸建のこの家に生活をする、私達の明日が明るいような気がした。