履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
公立・ 似湾尋常小学校 2の1
新居で二夜を明かした私は、父に伴われて”公立似湾尋常小学校”と大書した門標の在る所から這入て当時は、只一人っきりの教員兼校長が居た職員室を訪れた。
この日が、北海道へ移住をした私の、転校入学第一日と言う日であったのだが、父はそのことを、
一、明治45年4月18日、二男、公立似湾尋常小学校の、五年生として入学す。
と、記録して居る。
学校は、私達の家から前の道路を右に曲って約百五十米程行った所に在った。
私達の家が在る所を、生べつから似湾へ移る時に、そして駄馬を迎えに行った時にも越した、村境の峠を降った所からが平野になって居たので、此処は平坦地だなと思って居たのだが、その日学校へ行って始めて台地になって居ることが判った。
それと言うのは、校門の前を右へ三米程行った所からの道が、約45度の傾斜になって居たからであった。
学校は、東西に並んで教室が二つあった。そして玄関は南向きであって凸形に出ぱっていて、玄関を這入ると、其処が一坪の板を張った土間になって居て 左右の壁ぎわには、生徒の下駄箱が備えてあった。
その玄関を上って硝子戸を開けた所から十五米程の所が廊下になって居て、その奥に便所があったのだが、その便所と廊下は硝子戸で仕切ってあった。
毎朝、始業の鐘が、「カラン、カラン」と鳴ると、廊下の右側には三・四年生、そして左側に一・二・五・六年の生徒が二列横隊に整列をして、校長先生を待つことになって居た。
やがて出席簿と教科書を持った校長先生が、職員室から出て来て玄関の土間から上った所の廊下中央に立つと、六年生の級長が、「気をつけ、礼」と言う修礼の号令をかけて、その修礼が終ると、「右左向け、前へ進め。」と言う、次の号令でそれぞれの席がある教室へ這入て行くのであった。
この似湾の学校も、校長の住宅が校舎に併設されて在った、 併し生べつのそれとは異って、この学校には職員室があったので、住宅はその職員室の隣に併設されて居た。