220605 北海道似湾編 公立・似湾尋常小学校 2の2
履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
公立・ 似湾尋常小学校 2の2
私の席が在った教室は、「右向け前へ。」で這入ると、その正面が教壇であって、教壇に向かった右端の一列が六年生、その隣りが私達五年生の列、そして私達の左から二年、一年と言う順序に各一列と言う四列の机が配列されて在った。
一つの机には、それぞれ二人づつが着席するようになって居て私は、五年生の列の最後部に、戸長(村長と同じ資格)の三男坊であって、高松獅郎と言う少年と同席することになった。
校舎前の校庭は、生徒の数と比較して「随分広い運動場だなぁ」と、私を驚かす程に広かった。
この校庭には、校門を這入った左側に鉄棒が在って、その鉄棒から三米程離れた所にブランコが、鉄棒と直角に設けてあったが、私が六年を卒業するまでには、私以外の生徒で鉄棒体操をする者は1人もいなかった。
校舎の裏は、十米程行った所が台地の終端であって、その下を二米程の幅で小沢が流れて居た。そして台地からその小沢のある下へは、子供の私達が漸く1人通れる程度に細くて、斜面の勾配を緩めるために、幾度もくの字に曲って居る小路があった。
そのくの字に曲った小路を降りきった所に、岩間から清水がコンコンと湧き出て居た。
「この湧水はなぁ、俺達が作ったんだぜ。」と、15分間の休み時間に、燥ぎ過ぎて渇を覚えた私を、その湧水へ案内をしてくれた同級生の庄谷と言う少年が、清水を溜めるために埋めて在った、俗に九升樽と言って居た正油の空樽と、その樽へ清水を落す幅が十糎程の脚がついている板で作った桶、その桶が湧水の出る岩間に安定するように工作をしてあったのを指さして、これは誰、あそこは誰と一人一人の名を指して誇らしげにを教えてくれたが、この湧清水は、全校生の渇を潤す唯一の飲料水であって、春夏秋冬のいづれの季節にも実に美味かった。