Cameraと散歩

since '140125

191205 香川県編  喧 嘩

IMGR054-16

履 歴 稿    紫 影子  

香川県

 喧 嘩


祖父を慕う兄の我儘は、母や私をとても困らせたものであったが、或る日の行動があまりにも無茶であったので、それを見かねた姉さんが、「義潔さん、そんな無茶なこと止めな。」と言って窘めたのが悪いと言って、茶の間の障子を目茶苦茶に蹴倒したので、姉さんが泣き出してしまったことが今に私の記憶に残って居る。

当時の私は、そうした兄を「兄貴って随分無茶な奴だな。」と思って居たのだが、今にして思えば無理からぬことであったように思う。

と言うことは、加茂の生家から祖父と山内村の上原家へ移ってもその日常が、上原家の家僕、下婢と言った人達から「坊チン坊チン」と言われて、チヤホヤされて居た兄が、そうした召使の人達が一人も居ない丸亀の家庭に帰って来たのだから、よしんばそれが両親の膝下であったと言っても何か言い知れぬ不満があったであろうし、二年間と言う歳月を祖父の許へ別居して居た関係で、両親対兄の感情には何とはなしにお互に障壁が造られて居たのではないかと言う気がするからである。




IMGR054-17

兄が丸亀に帰って来るまで、私は兄のあることを忘れて居た。
そして独りぼっちの淋しさから「兄弟が欲しいな。」と思って居た矢先であったから、兄が帰って来たと言うことがとても嬉しくて、「無茶な兄貴だな。」とは思いながらも、気嫌をとりとり私は兄と仲を好くした。

同じ県内でありながらも城下町と郡部とでは、日常の言葉使いが一寸違って居た。

その一例をあげると、商店で品物を買う場合に、城下町の丸亀では「何何をツカ。」と言うのだが、郡部では「何何をイタ。」と言って居た。

この二つの違い方について、現在の私は次のような解釈を自ら下して居る。

即ち、城下町の「ツカ」は、明治維新前に絶対の支配階級であった武士が、或る物を必要とした場合町人に対して「何何をツカワセ。」と言った言葉使いが後半のワセを略して「ツカ」と言う言葉になって町人間で使うようになったのではなかろうかと思うことと、郡部での「イタ」は武士階級に対して絶対服従の立場に置かれて居た農民や町人が、他ら物を需める場合に「何何を戴きたい。」と言う言葉の後半を、城下町のツカと同じように省略して「イタ」と言う言葉をお互の間で使うようになったのではないかと思うのである。




IMGR054-18

兄は加茂村の生家から山内村へと言う田舎から田舎へ移転をして居た関係で、丸亀へ帰って来た当時は、当然田舎の言葉使いであった。

そうした言葉を使う兄は、外へ出るとよく近所の少年達に揶揄われて居たのだが、そうした場合兄も激しく反撥をして居た。

併し田舎のそして坊っちゃん育ちであった兄は、到底彼等の敵ではなかった。

その当時の少年達は、誰もが筒袖の着物に下駄履と言う服装であった。

自分の方言を揶揄われた悔しさから喧嘩になった兄は、相手の少年達に下駄で殴られては泣いて帰る日が屢あった。
私は、生来のヤンチャ坊主であったから、そうした場合には憤然と表へ飛び出して行って、兄と争った少年達に敢然と戦いを挑んだものであった。

併し当時満6歳であった私か、兄と争った3、4歳年長の少年達を相手に喧嘩をするなどと言うことは、とても常識的には想像の出来ない無鉄砲なことではあったが、それを我武者羅とでも言うものか、敢然と私は彼等に挑戦をしたものであった。

併し3、4歳年長と言う年齢差から生ずる少年時代の体力差によって、当然私は彼等の敵ではなかったので、殴り倒される、蹴倒される、下駄で殴られる、顔を引掻かれることは当然のことであった。




IMGR054-19

私は喧嘩では決して泣かない少年であった。

したがって、こうした場合には、起きあがり、起きあがり武者ぶりついては反撃を繰返す私であった。

その当時丸亀の大人の人達は、そうした子供達の喧嘩を傍観して居ても、何故か介入はしなかった。

そうしたことも、城下町と言う特殊な地域の伝統的な風習であったのではなかったかと現在の私は想像をして居るのだが、3、4歳年長の少年達と喧嘩をして居る私が、或る者には投げ飛ばされ、或る者には蹴倒され、また或る者には殴り倒されて、顔面や着物を鼻血で真紅に染めながらも起きあがり、起きあがり、敢然と挑戦して居る光景を大人の人達は只黙然として傍観をしていた。

併し当面の相手は、倒れても倒れても起きあがって武者振りつく私を持て余して、最後は、きまって相手の少年達が泣きながら逃げたものであった。




IMGR054-20

こうしたことから、町内の少年達の間に、「綾潔、上潔、名はロクレ(ロクレは方言であって、なっとらんと言う意味)、弟は瘡ブタ(私の頭には、下駄で殴られた傷が瘡になって何時もあった)。そっ歯、そっ歯。」と言う言葉とも歌ともつかぬものが生まれて、私達兄弟を遠くから囃したものであった。

この中で綾潔と言って居るのは、義潔と言う兄の姓名から上下の二字をとって、彼等が適当に語呂を合わせたものであった。



撮影機材
Konica HEXER