Cameraと散歩

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240924 北海道似湾編 函開け大将 4の1

IMGR079-03

 

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編   函開け大将 4の1

 私の父は、似湾へ引越た年の四月十七日付で似湾外三ケ村戸長役場の臨時筆生に採用をされて、その戸長役場へ勤務をすることになった。
そのことを父の履歴稿には、
 一、明治四十五年四月十七日、勇払郡似湾外三ケ村戸長役場臨時筆生を命ず。
   日給五十三銭給与。
と記録をしてあるが、それはこの発令をされた夜のことであった。


 「給料取りをやるのなら何も北海道へくることなかったなぁ」と、その辞令を母に見せて嘆息をして居た父へ、「今更そんなことを言っても仕方が無いのだから、何糞と言う気持ちになって頑張って下さい。」と、母が激励をして居るのを私は傍で聞いたのだが、その時の私は、未だ十歳と言う少年でこそあったが、嘆息を漏す父の心境が判るような気がした。

と言うことは、嘗て丸亀時代の第三の家で”三年心棒をすれば、必ず成功をする”と巧言を弄して移民渡道を誘った由佐校長の口車に乗ったことが、無念でたまらないのだろうと思ったからであった。
  



  IMGR079-19
  
 その当時の父の履歴稿には、
 一、明治四十五年五月十三日、勇払郡似湾外三ケ村戸長役場筆生を命ず。
  月俸十六円給与(北海道室蘭支庁)
 一、同年同月同日、村費雇を命ず。
 月手当二円を給与す。(似湾外三ケ村戸長役場)
と、記録をしてあるのだが、私達の家族は、父の本俸と村費を含めた一ケ月十八円と言う薄給で生活をして行かなければならない惨めな境遇に転落してしまったのであった。