Cameraと散歩

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履歴稿 北海道似湾編 真夏の太陽と天狗の太鼓7の3

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履 歴 稿   紫 影 子
 
北海道似湾編
 真夏の太陽と天狗の太鼓7の3
 
 やがて北海道にも真夏の八月が訪れた。
 小出さんの畑の手入れを上旬中に全部一応終ったので、あとは収穫をするだけと言うように一段落ついた或日、例によって遊びに来て居た次郎が、「オイ、これから川へ遊びに行かないか。」と私を誘うので、それまで次郎に雑誌を読ませておいて、一心に講義録を読んで居た私は、「お母さん、これから次郎と川へ遊びに行って良いかい。」と、その頃とても元気になって、なにか私達のお盆の晴着らしい物を縫って居た母に許しを乞うた。すると「渡四男おんぶして義憲を連れて行きなさい。」と母は、快く許してくれた。
 末弟を背負って紳士用の洋傘をさした私と次弟の手を引いてくれた次郎は、何かと雑談を交しながら、対岸に渡船場のある河原へ着いた。
 
 川の水は六月に次郎と乗馬で来た時と同じように対岸の山裾を流れて居たが、真夏の渇水期であったので、川幅の半ばが河原になって居た。
 
 
 
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 水の深みは対岸の山裾から四米程の幅だけあって、それから河原への八米程の所は、私達の乳のあたりまでの深さから、岸へだんだんと浅くなって居た。そして暑中休暇中の学童が、十人程でその浅瀬に集まって水鉄砲の掛合をして遊んで居た。
 
 「オイ義章さん、俺達も川へ這入って遊ぼうや。」と、裸になった次郎が、私を誘ったのだが、「俺は駄目よ、弟を背負って居るからな、俺は此処から皆が遊んで居るのを見て居るから、お前は義憲を泳がして遊んでやってくれないか。」と、私は彼に頼んだ。すると次郎は、「何を言って居るんだい。渡四男さんはぐっすり睡って居るじゃないか、おろして此処に寝かせてよ、顔に太陽が照らないように、その洋傘を差しかけておけば良いじゃないか。「と彼は、再び私を誘った。
 
 私は成程と思った。”そうだ、次郎が言ったようにして、俺も泳ごう”と決心をした。
 
 真実、私は泳ぎたくてムズムズしていたのであった。
 
「よし、俺も泳ぐわ。次郎すまんが渡四男をおろすから、お前そっと静かに抱いておろしてくれないか。」と言って私は、背負の帯を解いた。
 
 後へ廻った次郎は、そっと渡四男を抱きおろして、自分の脱いだ着物の上に寝かせた。
 
 
 
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 私は次郎が言ったように、太陽が直接渡四男の顔に照らないように洋傘をさしかけて、川風に洋傘が転動をしないようにと、付近にあった直径が十糎程あって長さが二米程の流木を拾って来た、そうしてその流木へ洋傘の柄を帯で結びつけた。
 
 「これならば大丈夫。」と、独りで頷いて、私は裸になった。
川の中へ這入った次弟は、私が裸になるのを見すまして、「よし、それなら俺は先に行くぞ。」と言って、チャポチャポと駆け込んで行った次郎に、両手を取って貰って、両足をバチャバチャとバタツカセながら、後去りに歩く次郎に引きづられて、「兄さん、これ。」と、さも嬉しそうに遊び始めた。
 
 どうした関係であったかと言うことは判って居ないのだが、その頃、似湾の少年で泳ぎを知って居る者は、一人も居なかった。
 
 それが私が未だ六年生として在学中の夏のことであったが、七月下旬の或日、学校の只一人きりの先生であって校長先生でもあった、大矢先生に引率されて五年六年と言う上級生が、この渡船場の川へ水泳に来たことが一度あった。
 
 勿論、私以外の生徒で泳げる者は一人も居なかった。