Cameraと散歩

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履歴稿 北海道似湾篇 真夏の太陽と天狗の太鼓 7の4

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履 歴 稿  紫 影 子
 
北海道似湾篇
 真夏の太陽と天狗の太鼓 7の4
 
 当時三十を超えたばかりの校長先生は河原で、水泳の要領を懇切に説明をした、そして川へ這入てからは平泳ぎはこう、背泳はこう、抜手はこのように、と実演をして見せてから、深みを横断して、対岸へ往復をした。
 
 併し、生徒達は水泳に興味を持たないのか、浅瀬で四つん逼になって、ジャブジャブして居る者、水をかけ合って燥いで居る者、河原で日向ぼっこをして居る者と言った状態で、誰一人として泳ぎを知ろうとする者は居なかった。
 
 私はそうした学友達を見て、「何んだ、誰も泳げないのか、俺が一人で泳いでもつまらないなあ。」と乳のあたりまでの深みで、両手を使って水を搔廻したり、一寸浮いて見たりして一人で遊んで居ると、上流から下流へ、下流から上流へと、遊泳して居た校長先生が、私の傍へ近寄って来て、「綾井、お前は丸亀育ちの瀬戸っ子だから泳げるだろう。どうだ、向岸まで先生と競泳して見ないか。」と言ったので、私は「ハイ」と答えて、先生からの挑戦に応じた。
 
 
 
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 すると校長先生が右手を頭上で振って「オーイ、皆今先生と綾井が、向岸まで競泳をするからお前達は応援すれよ。」と叫ぶと、皆は一斉に拍手をして「ワーッ」と歓声をあげた。
 
 先生の「用意・ドン」でスタートをしたのだが、私は往く時を抜手、帰りは片抜手と泳を変えて我武者羅に泳いだ。
 
 この競泳は先生が加減をしたのかも知れなかったが、私が勝って観戦の皆から「ヤンヤ」と喝采をされたことがあった。
 
 そうした環境に育った次郎は、泳と言うものを全然知らない少年であった。その次郎が緊張した表情で、次弟の手を引いて熱心に泳がせて居るので、何故か私には不審に思えた。
 
 私は上流へ行ったり、下流へ行ったりして、彼の近くを泳ぎ抜けて居たのであったが、それは私が下流の方から登って来た時のことであった。
次郎が両手を頭上で万歳をして、「義章さん、これ見れよ、義憲さんが独りで泳げるようになったぞ、矢張りお前に似たんだなあ、今に屹度上手に泳ぐようになるぞ、俺もなあ、これ位の歳からやって居れば、少しは泳げるようになって居ただろうになあ。」と嘆息を洩らしたのであったが、「さあ、義憲さんよ今のように独りで浮いて泳いで見れよ。」と言って、また次弟の手を軽く引いてやって居た。
 
 
 
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 「何っ、義憲が独りで泳げるようになったって、そりゃあ不思議なことだ。」と思った私は、自分の泳ぎを止めて、しばらく彼と次弟の様子を見守って居ると、「ソレッ」と声をかけて、ひいて居る手を放すと、次弟の義憲はそれは無茶苦茶と言った行動ではあったが、一応は水に浮いて泳いで居た。
そして次弟が疲れると次郎が手を差しのべて、次弟の手を引いてくれて居た。
 
 そうした状景を見た私は、「次郎って奴はとても良い奴だなあ」と思った途端に、胸がせき込んで、私の目頭をボーッとさした。
 
 それはその時のことであった。「そうだ、よしっ、俺が次郎に泳ぎを教えてやろう。」と思いついたので、私は次弟の義憲を浅瀬へ誘って、其の浅瀬で蟹泳ぎの独り遊びをさせておいて、彼に私の知って居る限りの泳方を教えたものであったが、その日の次郎は遂に泳ぎ得なかった。