Cameraと散歩

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履歴稿 北海道似湾編  真夏の太陽と天狗の太鼓 7の6

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履 歴 稿    紫 影 子  

北海道似湾編
  真夏の太陽と天狗の太鼓 7の6


閑話休題

 一時間程を水に遊んだ私達三人が、鳥肌になって紫色になった口唇をガクガク震わせながら、末弟の渡四男が寝て居る河原へあがった時には、暑い真夏の太陽も、いつしか対岸の原始樹がうっ蒼と茂って居る山の端にかげりかけて居て、それまで川面に漂わせて居た明るい緑の山容が、今は刻々と黒色に変えて行く影を流して居た。

 素早く着物を着た私は、末弟の敷蒲団の代りになって居る次郎の着物を返えそうと、そっと末弟の渡四男を抱きあげた。

 末弟は未だスヤスヤと無心に睡って居たのであったが、その両頰には、涙の痕が二筋耳の後まではっきりついて居た。

 末弟の渡四男は屹度、私達が泳ぎに夢中になって居た時に目醒て泣き出したのではあったが、誰も寄って来てくれなかったので、泣き疲れてまた睡ったんだな、と思うと、可哀想なことをしてしまったな、と私は思わずそうした末弟の寝顔にそっと頰ずりをした。



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 それは「さぁ、帰ろうか」と、私達三人が歩き出した時のことであった、“ドン・ドン・ドン”と、何処か遠くで太鼓を叩いて居るような音が対岸の山頂の辺から聞こえて来た。
すると聞き耳を欹てた次郎が、「あっ、また鳴りだしたぞ、そら、義章さんにも聞こえるべや、ドンドンドンと言う音がなあ、あの音はなあ、天狗さんが太鼓を叩いて居る音なんだとよ、そしてなあ、あの太鼓の音があの山から聞えて来た翌日は屹度雨が降るんだぞ。」と言って、“何か物に怖えた”と言った表情の彼は帰りの足を早めた。

 私の背に睡って居た末弟は、弾んだ次郎の声に目を醒ましたが、河原での目醒と違って、私の背にあることを意識したものか、両足をピンとふんばっては、両手で私の頰と言わず、頭と言わず、バタバタと叩いては、キャッキャッと奇声をあげては小躍をして燥いで居た。

 それは似湾に古くから伝わって居た伝説であったかも知れないが、次郎の言った“天狗が叩く太鼓”と言うことが、“そんな馬鹿げたことがあるか”と言った不審感を抱かせたので、“天狗と言うものが果たして実在して居るのか” “イヤ、そんな馬鹿げたものは居ない”と言ったことを考え、考え歩いて居たのであったが、当時の私としては、“天狗は実在する” “天狗は実在しない”と言う両説に、そのいづれかが是かと言う絶対の確信と言うものは未だ持って居なかったものであった。



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 併し私は、「そんな馬鹿げたことがあるか、天狗なんか居る筈ないよ、居ない天狗がどうして太鼓を叩けるんだ。」と言う否定説の方に傾いて居たのだが、未だに斧釿と言う物を知らない原始その儘の大樹は、うっ蒼と生い茂って居る山頂から、“ドン・ドン・ドン”と言う音が、次郎の話を聞いたことによって、何となく太鼓の音に聞こえて来て、家に帰り着くまで、何か無気味なものを感じて居た。

 私が夕餉の時にこの天狗と太鼓の話をすると、「そんな馬鹿げたことがあるか。」と、兄は一笑に付したのだが、父は、「義章、それは屹度この村に古くから伝わる伝説だろうと思うんだ、だから次郎が知って居たんだ。併しだなあ、義章よく考えて見ろよ、天狗なんて言うものが居る訳無いじゃないか。これはお父さんの考えだがな。その太鼓の音と言うのは、こんなことだろうと思うぞ。お前達が河原で、ドン・ドン・ドンと言う音を聞いた頃にはなあ、この市街地や古潭で薪割が始まる時刻だ。だからその薪を割る音がその川向の山に木霊をする山彦だと思うぞ、そうしてその太鼓の音が聞こえた翌日には必ず雨が降ると言うことはなあ、気象の変化現象であってその気象条件が、人の耳に太鼓の音を思わす山彦を聞かせたり、その翌日に雨を降らして居るんだと思うぞ。」と、説明をしてくれたので、私は“天狗の太鼓”と言う疑惑の謎が、一応解けたような気がした。



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 夕餉の後始末をした私が、いつものように講義録を読んで居ると、末弟の渡四男を寝つかそうと、添乳をして居た母が、「義章すまんが洗面器に水を入れて手拭と一緒に持って来ておくれ。」と言ったので、私は早速母の言いつけ通りに、水の這入った洗面器とタオルを六畳の寝室へ持って行った。

 「お母さん、どうしたの。」と、私が尋ねると、「何んだか渡四男がおかしいんだよ。熱があるし、グズって乳を呑まないんだよ。」と言って母は、水を絞った手拭を末弟の頭に乗せてやった。

 「義章」と、再び私の名を呼んだ母が、板壁の釘に掛けてある越中の薬袋を指さして、「それを取っておくれ。」と、言いつけた。

 その当時、此の地方の医療施設と言えば、その延長が三十粁にも及ぶと言う、似湾外三ケ村戸長役場の管内に、私達の住んで居た似湾村の市街地に、医学得業士の八辻と言う村医が只一人きりと言う、心細い状態であったので、各家庭では、毎年秋の収穫が終った頃に、遥々富山県から訪れる行商人が、表に製薬会社の商標を印刷した大きい袋の中に這入って居る小袋(各種の薬が一種毎に這入って居る)を詰替て行く売薬を、重宝な常備薬として居た。