履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編 村の秋祭 9の2
私はこの日母に言いつかって山岸さんの店から小型の飯櫃を二個買って来た。勿論、それは兄の弁当を運ぶ容器としてであった。
母はいつもより夕餉の支度を早目にして、兄の夕食となるご飯を一食分、その小さな飯櫃に詰めて一反風呂敷にクルクルッと包んだ。そうして、小さな風呂敷に塩鱒の切身を焼いたのと野菜の漬物を少々蓋付の瀬戸物につけ合わせた物を包んでから、「さあ義章、持って行っておくれ。」と、私に飯櫃を包んだ一反風呂敷を背負わせた。
「お母さん、行って来ます。」と言って、蓋付の瀬戸物を包んだ小さな風呂敷包を片手に提げた私が、家を出たのは午后の五時頃であった。
それから二十分程で私は郵便局へ着いたのであったが、局長さんは既に退庁をした後であった。そして窓口のカウンターでは、葉書大に切った古新聞を積重ねてポンポンポンと兄が手押スタンプの練習をして居た。
「義章、ご苦労じゃったなぁ、ご飯はなぁ、今朝家を出る時にお母さんが、お昼の弁当と言ってくれた寿司が未だ残って居るんだ、だから今晩の弁当は持って来なくても良かったんだ、だけどなぁ、変なんだよ、お前がもう来るか、もう来るかと、とても待遠しくてしょうが無かったんだ。」と言って、今朝別れたばかりの私を、さもさも長い期間を逢わなかった兄弟ででもあるかのように、じっと懐かしそうに見詰て居た。
「兄さん、仕事は前とどう。」と私が尋ねると、「うん、辛いぜえ、未だ慣れないからかなあ、それでもお前に比べると楽かも知れんなぁ、俺は畑もやれなけりゃ、ご飯もよう炊けんからなぁ」と言いながら兄は、宿直室から、昼に食べ残したと言う十個程の海苔巻寿司を持って来た。
「義章、お前、ご飯は未だだろう、そしたらなぁ、この寿司とご飯を二人で食べようや、そうして空のお櫃を今晩持って帰れよ」と兄が言うので、その海苔巻寿司と、そして私が持って来た飯櫃のご飯も、楽しかった丸亀時代の懐旧談に花を咲かせながら、仲良く二人で食べつくした。
二人の話はつきることを知らなかったが、ボンボンと柱時計が八時を打ったので、「兄さん、もう八時になったから、俺は帰るわ。」と言って、私が立ちかけると「ウン、そうだなぁ、あまり遅くなるとお母さんがまた心配するだろうからな、だけど一寸待て、これで隣から飴玉買って来いよ。」と言って兄は、蝦蟇口から二銭銅貨を一枚取出して私に手渡した。
兄が言った隣の家と言うのは、私達の家族がこの似湾村へ移住をした時に、引越荷物が遅れたので一泊をした、新物雑貨と宿屋を兼業して居る中村多盛老人の店であった。
「お晩です。」と言って私が、店内へ這入って行くと、嘗て私達が向の家に住んで居た時には、毎日二人で仲良く遊んだ、保君が店番をして居た。
「義章さん、お前こんなに遅くどうしたんだ。」と彼が不審そうに尋ねたので、「ウン、兄さんがなぁ、事務員になって今晩からずうっと局で寝るようになったんだ、それでなぁ、ご飯をなぁ、今晩から毎日朝と晩とに俺が運ぶことになったのよ。」と私は答えた。
「そうか毎日朝と晩の二回か、大変だなぁ、お天気の良い日は良いけど、悪い日は辛いなぁ。」と言ってから、急に思出したように声を弾ませた保君が、「オイ義章さんよ、お前の家がなぁ、去年の春に市街地さ引越てからは、俺また友達無しよ。一軒家だからなぁ誰も遊びに来ないんだ。俺の方から遊びに行くとすればよ、ずうっとニセップの古潭の方まで行かなけりゃ遊び友達が居ないからなぁ、俺、今でも時々向の空家に行って見るんだ、そうしてなぁ、お前と遊んだ時のことを想い出しては独りで吹出すことがあるんだ。だけど、今度お前が毎日来るんだったら、俺達また二人で遊べるなぁ。」と、彼はニコニコと、さも嬉しそうな様子であった。