履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編 村の秋祭 9の4
その頃の母は、その日その日の炊事は自分が出来るまでに、健康が回復して居たので、私は朝の炊事の時には、母と一緒に起きて何かと手伝ったが、そのあとは薪作りと水汲、そして畑仕事と言う日常であったが、その畑仕事は、一切の手入が終わってあとは、収穫をするまで手を掛ける必要が無いと言った状態になって居たので、急いで水汲と薪作りをすました私は、次弟の義憲を連れて神社参拝に出かけた。
私と次弟の二人は、神社への途中を山岸さんの店に寄って、私達が桜パンと言って居た、一寸ビスケットに似た駄菓子を兄から貰った五銭の白銅貨で買って袋の儘、次弟に持たせたのだが、その時の次弟は「ハッハ、ハッハ」と、いとも朗に笑って、道路を跳ね廻りながら歩いて行った。
それを滑稽と言えば滑稽なことではあったが、そうした次弟の喜びかたは、その当時としては、無理からぬことであった。
その頃の似湾と言う所では、外来の客がある以外に菓子を買う家庭は殆んど無かった。従って子供達は、その来客に呼ばれて二、三個づつの菓子を貰って食べる以外には、殆んど菓子と言う物を食べられ無かった時代であったので、次弟の義憲が五銭の桜パンで小踊をして喜ぶのは当然のことであった。
そうした桜パンを頰張って、ウン、ウンと急坂の参道に喘ぐ次弟の手を曳いた私は、やがて山頂の神殿へ出たのであったが、その神殿に額づいた時には、真新しい半てんに乗馬ズボンと言った服装の青年達が、十人程集まって居て、「こん度は俺よ。」と、お互が言って、その祭太鼓を叩いて居た。
神殿への参拝をすました私は、喘いで居た登る時とは異って、トン、トン、トンと一段一段を兎のように跳ねながら降って行く弟を、その背後から、「危いぞ、危いぞ。」と言いながらも、やがて私は鳥居の在る所まで降りて来た。
その時の次弟は、何を考え出したものか、私達の家へ帰るのには、神社の前から右に曲らなければならないものを、鳥居前の道を左へ曲がってサッ、サッと歩きだしたので、周章た私が、「義憲どうしたんだ、そっちへ行けば家とは方向が反対でないか。」と、私は注意をしたものであった。
すると、その時の次弟は、「兄貴何を言って居るんだい。」と言った表情で私を振返って、「俺はなぁ、これから義潔兄さんが居る下似湾の郵便局へ行くんだ。」と言い捨てて、トットッと、その方向へ歩き出した。
「ウン、そうだったのか、そうしたら俺も一緒に行くとするか」と言って、私も次弟の後に続いたのであった。
私達兄弟は、それから二十分程の時間で郵便局へ着いたのだが、その時事務室では、局長さんが何か兄に事務の処理方法を教えて居た処であった。
「おお、あんた達兄さんのとこへ遊びに来たのか、さぁお這入り」と局長さんは、私と次弟の二人を事務室へ招き入れて、「ホウ、大きくなったなぁ。」と言って、次弟の頭を撫でながら、「そうだ、今日はお祭りだったなぁ。義潔さんよ、留守は私がやるからあんたはこの二人を連れて晩の七時頃まで遊んで来なさい。」と兄を促した。
「いや、局長さん良いんですよ。義章が今朝ご馳走を一ぱい持って来てくれたから、私は此処でお祭りをします。それよりか、局長さんこそどうぞ、お帰りになってお家でお祭をなさって下さい」と兄は辞退をしたのだが、結局半日づつ交代で留守居をすると言うことになって、局長さんは自分から言い出して、午前中を休むことになった。