Cameraと散歩

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履歴稿 北海道似湾編 村の秋祭 9の5

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履 歴 稿    紫 影 子  

北海道似湾編   村の秋祭 9の5

 局長さんが兄を午后から休ませたと言う事は、毎日の兄が、家庭から離れて、郵便局の宿直室で起居をして居るので、さぞかし父母や兄弟の居る家庭が恋しいであろうと言う思いやりと、年に一度の秋祭だから、その夕餉の団欒には家族の全員が揃いたいであろうと言う思いやりからだな、と少年の私にも窺えた。

 「それでは義潔さん、私は帰りますよ、そうして午后になったらすぐ交代に来ますからな。」と言って局長さんは、机を離れかけたのであったが、「ウン、そうだ。」と言って、再び椅子に腰をおろして、「ハイ、お祭りの小遣。」と言って、懐中から紐の付いて居た革の財布を取り出して、私には十銭銀貨を、そして次弟には五銭の白銅貨を、それぞれ一枚づつをくれた。

 そうした情景を傍で見て居た兄が、「局長さん、どうも相すみません」と言って、頭を下げる兄に、「イヤ、ほんの僅かさ」と言ってから、「イヤ、局長さん、私は、私は。」と、頻りに辞退をする兄に、無理矢理二十銭銀貨を一枚、局長さんは握らせた。

 局長さんが居なくなってから兄が、「義章、お前これからどうするのよ、家へ帰るか。」と言ったので、「イヤ、お昼頃まで此の辺で遊んで、兄さんと一緒に帰るよ。」と私は答えた。




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 「ウンそうか、そんならそれまで其処らで遊んで来いよ。そうしてお昼のご飯はなぁ、お前が今朝持ってきたご馳走を三人で分けて食べようぜ。」と言ってから兄は、また例の葉書大に切った古新聞で、手押スタンプの練習を始めた。

 私は、「それでは一寸遊んで来るから。」と兄に断ってから、次弟を連れて隣の保君を訪れた。

 それがその当時の農村としては、全道的な風習であったものかどうかと言う事は判っていないのだが、その頃の似湾の学童達は、学校の授業が終って自宅に帰ると自分に適当な仕事を何かと言い付かっては、家事を手伝うことが普通であったから、尋常科の二、三年生ともなれば、男の子は野良に出て農耕を手伝うとか、農耕馬の飼料とする草刈、または薪作りをしなければならなかった、そして女の子は家畜の世話や弟妹のお守、そして母親の炊事を手伝うので、平常はあまり自由に遊べなかった。

 こうした学童の日常を考慮したものか、毎年秋の本祭の日には学校の授業が休みであった。

 「保なら裏に居るよ。」と、多盛老人に言われて、私と次弟が裏へ廻ると保君は口笛を吹きながら、釣竿の手入れをして居た。




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 「オイッ、お前釣りに行くのか。」と言って、不意に私が声をかけると、彼はとても吃驚をしたらしく、ギグッとした表情で私達兄弟を、しばし無言でじいっと見詰て居た。

 「オイッ、吃驚さすなよ、俺危く腰を抜かすとこだったぞ。」と言って、彼は大袈裟な身振で、自分が吃驚をした時の光景を再演して見せてから、彼は呵呵と笑った。

 「ウン、俺なぁ、これから雑魚釣に行くんだ。だってなぁ、俺は独りぼっちだろう、だからよう、神社へ行ったからって、お昼から相撲があるっきりだもんなぁ、だからそのお昼までニセップの沼で雑魚釣をやろうと、今仕度をして居たとこよ。どうだ、お前も一緒に行かないか。」と言って私を誘うので、私は、「そうか、俺も兄さんが昼から休みになって家へ帰るのを待って居るのだから、丁度良いや。」と言って、彼に同調をして一緒に行くことにした。

 「オイ、釣竿を頼むぜ。」と言って、私は保君から釣竿を二本借りて一本を次弟に持たせた。

 魚籃は只の一個きりであったが、大きいのを保君が腰にぶらさげて、嘗て木菟の餌にするために保君と私が二人で毎日雑魚を釣りに出かけたニセップ古潭の小沼へ、三人は歩いた。