Cameraと散歩

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履歴稿 北海道似湾篇 古潭の水死人5の5

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履 歴 稿    紫 影 子  

北海道似湾編
  古潭の水死人5の5

 その年の小出さんの畑での取入は、馬鈴薯、唐黍、小豆、大豆と言った順序であったのだが、学校の授業を終った次郎が、それは毎日の午后から、そして日曜日の終日を懸命に手伝ってくれたので、一週間そこそこと言った短時日で、三反歩の収穫が全部終わった。

 例によって、毎日の私は当時小学尋常科の一年生になって居た次弟の義憲を連れて、兄が首を長くして待って居る飯櫃を郵便局へ届けてから小出さんの畑へ行ったものであったが、能率の上るのは、矢張り次郎が来てからのことであった。そしてその年の出来栄は、前年(大正二年)が降霜の時期が早かったと言うことに起因をして、全道的に農家の人達を震憾させた程の凶作であった関係もあったのだが、私には「良く出来たなあ。」と、思わせる程の収穫であった。そして母も大変喜んでくれたものであった。

 また、その年は山野を我物顔に蔓を延ばして居た、山葡萄やコクワ(その学名については何も判って居ないのだが、その天然果実をコクワと呼んで少年達は親んで居た)と言った天然性の果実も豊作であったので、私の家で借地をして居た小出さんの畑の周辺に在った林の中にも、そうした天然の野生果実が物の美事に実った秋でもあった。

 私はその天然野生の果実を秋晴の午後に学校の授業が終った次郎が、「義章さん」と表から声を掛ける次郎の訪れを待って、次弟の義憲と三人が、小出さんの畑の周辺の林へ取りに行ったものであった。





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 その当時の似湾と言う所では、何もそうした三人が小出さんの畑までワザワザ出向く必要の無い程に、山葡萄もそしてコクワも豊富な時代であったので、私達の住んで居た吏員住宅の前の山にも沢山の野生果実は実って居たのであったが、私達少年が、只単にそうした野生果実を取ると言った日は、向の山へ取りに行ったのだが、林立する巨樹の枝が日射を遮って昼なお暗いと言った原始林のそうした野生果実の味覚も我々を喜ばせる味になかったことも一つの理由ではあったのだが、小出さんの畑の周辺に在った林の中には、それが平地であったと言うことに起因したものか、どうか、と言うことは今に判って居ない私ではあるが、それは確かに、向の山と同じような巨樹も枝を張て居たが梻(この字は現在の字引には無いようだ、その当時の私達少年の間では”タモ”と呼んで居た、そして私の書いた漢字は鉄道で貨物掛として木材を輸送した時に先輩から教わったものである)と言う木が多かった、そしてその梻と言う木は亭々として天に伸る素質の物ではなくて、枝を横に張る木であってその枝に山葡萄やコクワの蔓が逼って居た。

 それは勿論のことではあったが、そうした蔓は、思う存分に好天の秋の日射を浴びて居た。





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 私は栗鼠と言う動物を見たのは、北海道それも似湾へ移住してからのことであったが、その栗鼠が小出さんの畑の周辺の林へ行くと、梻の木の枝に這って居るコクアの蔓の上に、二匹または三匹が恰も私達三人を待ってでも居たかのように、それは太い尻尾が三脚のように支えて居たのかも知れないが、後足で立って前肢で口辺を交互に撫でるような格好でキョロキョロと私達を見詰るだけであって決して、私達から逃げようとはしなかった。

 それは原始林の山の野生果実の味を遙かに凌駕して居たことも私達に魅力があったことも事実ではあったが、私はこの栗鼠に逢えると言うことの方が多分に楽しかった。

 と言うことは、私達三人が梻の枝から枝へ網を張って居るコクワの蔓の上に寝そべって半透明に熟したコクワの実を頰張っては「美味いなあ、美味いなあ。」と、お互いが呟きながら貪るように口へ運んで居る光景を、キョロキョロとした愛嬌のある恰好で見て居ながらも、とても上手に、私達三人よりも遙かに多くのコクワの実を、口へ運んで居る様子が、私にはとても滑稽に思えて愉快であったからであった。

 「オイ、義章さんよ、栗鼠の奴もう食い飽きたと見えて姿を消したぞ、お前はどうだか知らないけれど、俺はもう沢山だ、これ以上食ったら腹がハチ切れてしまうわ。」と次郎が言った時には、私は勿論のこと次弟の義憲は既に食い飽きて居たと見えて、未だ熟して居ない堅い実を捥いでは、自分が決めた目標へ投げるのが此の林へ来た日に起きる彼の癖であった。

 「オイ、オンジも飽きて居るらしいぜ、だからよ、これからよ、お前と二人で郵便局に居るお前の兄貴に食わせる奴を取って帰るべや。」と、次郎が言ったのだが、勿論私には異存は無かった。





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 そうした次郎の思いやりで取った山葡萄とコクワの実を、それはいつものことではあったが、手籠へ山盛にしたものを、次郎が一つそして私が一つをぶら下げて、「オイ、今日の栗鼠は、昨日の奴よりも滑稽な奴だったな。」等と言った、少年の世界でのみ交わす雑談をしながら歩いた道路と丁字路になって居る細道、それは私達が住んで居た吏員住宅の玄関へ、直線に在った道であったが、その分岐点まで来ると、それまでぶら下げてきた手籠を、「オイ、それじゃ。」と言って私へ手渡した次郎は、「オイ義章さんよ、明日もなあ、今日のような天気(晴天の意味)だと俺は思って居るんだ、だからよ、またあそこの林さ行って遊ぶべよなあ。」と言う次郎へ、「そんなこと、いつも同じことばかり言って居るけどよ、学校から帰ったらすぐ来いよ、待ってるぜ。」と言って、私と次郎は住宅への細道へ、「じゃ、また明日な。」と、私達兄弟に手を振って、それもいつもの光景ではあったのだが、次郎はその儘直線の道路を自分の住む山岸さんの店の方へ歩いて行くのであった。

 そうした私と次郎の交友関係は、下似湾の郵便局の宿直室に独り寝をして居て、朝夕の二回に私が運ぶ弁当で生活をして居た兄にも通じて居た。と言うことは、その季節ともなれば、「今日は好天気だから義章の奴、屹度持って来るぞ。」と、首を長くして待って居たものであった。併し、それはその日の母の体調によるものではあったが、「義章さん、行くべや。」と誘いに来た次郎へ、「今日なあ、お母さんが体の具合が悪いのよ、だからなあ、俺晩飯の仕度をしなければならないので行かれないわ。」と、言った日の夕飯を郵便局の兄に運ぶと、そうした野生果実が卓上に山をなして居て、「オイ義章、これなあ、宣告次郎が持って来てくれたんだ、併しなあ、いつも言うことだけどもよ、山葡萄もコクワも実に美味いなあ、香川県ではこんな美味い味知らなかったなあ。」と言って兄はとても喜んで居たものであった。
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