Cameraと散歩

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履 歴 稿 北海道似湾篇 カイカウニの熊祭 4の2

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履 歴 稿    紫 影 子  

北海道似湾編
  カイカウニの熊祭 4の2    

 私はそうした光景に只只驚異の目を見はるばかりであったのだが、「義章さんよ、何もそんなに驚くことないよ、これからがホントの熊祭だぞ。」と、次郎に言われて若干冷静な気持に戻ったものではあったが、そうした恰好で表へ出て来た老人達は、それを半弓とでも言うものか、一米程の長さで麻の紐を弦にした私には粗末と思われた弓を十弓程持った老人と、矢と覚ぼしい物を一束大事そうに抱えて居た、二人の老人に何か愛奴語で何ごとかを囁いて居たが、勿論私には全然その内容は判らなかった。

 それはやがてのことではあったが、次郎に促されて屋内に這入った時に、嘗て次郎が馬を借りた小石川トノサムクと言う人が酋長なんだ、といったことから、此の人がカイカウニ古潭の酋長だなと思って居た陣羽織の老人が、それが何と言うことを言ったのかと言うことは、愛奴語であったので私には判らなかったのだが、その老人が、何ごとかを叫ぶと、それまでガヤガヤと騒々しく話し合って居た青壮年の人達が、一斉にその老人の側へ慌ただしく駈け寄って来た。

 「オイ、次郎あれはどうなって居るんよ。」と、そうした光景があまりにも珍奇であったので、私は次郎に尋ねてみた。すると、「あれはなあ、ほら束になって居る物を持って居るオヤヂ(その頃年老いた愛奴の男を一般的にそう呼んで居た)が居るべよ、あな束はなあ、花矢と言ってよ、とても綺麗な彫刻がしてある鏃がついて居るんだぞ、そしてなあ、あの花矢を全部沢向の山へ射てしまうんだ、うん、それはなあ、悪魔払いだとよ。」と言って次郎は、カイカウニ沢へ降る台地の端を指さして、「あのオヤヂが持って居る弓でよ、あそこから射るのよ。」と教えてくれた。

 弓は桑の木で作った物であったが、その弓を持った老人と、別に花矢の束を持った老人の側へ駈寄った青壮年の人達が、我れこそ先にと、競って弓を受取ると、別の一人が、花矢の束を受取って、次郎が言った台地の端へ全員が駈けて行った。すると、「オイ、俺達もあそこさ行ってみるべや。」と言って、次郎が駈け出したので、私も彼に続いてその台地の端へ駈け出したのだが、私達二人が駈け寄った時には、青壮年の人達が、花矢を人数の平均に分配をして居た。



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 やがて、花矢の分配が終ると半弓を持った人達が、それぞれに分配されたその花矢を持って、台地の北端へ適当な間隔で一列横隊に並ぶと、その中の誰かが、「オイ、サア皆始めようぜ。」と言えば、「オオ。」と答えて全員が、弓に花矢を一斉につがえた。

 射矢は右から順々に放ったのだが、半弓に花矢をつがえた誰もがその弓弦を満月のように引絞って、屹度天空の一点を睨んでは、ヒョウと放って居たが、弦を離れた花矢は、黄昏の大空に半円の弧を描いて悠久と、台地の下を激しい流で鵡川川の本流へ落ちて行く、カイカウニ沢を超えて、冬木立の原始林へ次々と消えて行った。

 そうした花矢の射矢を、迷信から生れた因襲的な行事と言えば言えるでもあろうが、その日始めて見た少年の日の私には、屹度口唇を噛みしめて天空の一点を睨んだ鋭い目、そして的なき的へヒョウと射る、その毅然とした態度を、それを幽幻と言えば幽幻、神秘と言えば神秘なものに思えて、何か荘厳なものを感ぜさせられたものであった。

 花矢の射矢は、射手が三回程入代って三十分程の時間で全員が射終った。

 それは僅々三十分程の短い時間ではあったのだが、目のあたりに見た珍奇異妖な射矢の行事に魅せられたものか、次第に色を増して行く暮色が、民族の因襲に従って、的なき的を射抜いた花矢が、次から次と消えて行った冬木立の原始林を静かに包んで行く光景を、只茫然と私は視詰て居た。



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 チラホラと二、三の星が煌き初めた真冬の空を、此処や彼処の山野から、カイカウニ沢の対岸に在る原始林に在るのであろう塒へ急ぐ群鳥の「カアカア。」と啼く喧しい声に不図我に帰った私が四辺を見廻すと、花矢を射た青壮年の人達も、そして私達と同じように射矢の行事を見物して居た老若男女の人達も既に誰一人として居なかった。併しそれが、私と同じ境地に在ったものか、依然として次郎は私の傍に在って未だじいっと対岸の木立に目をやって居た。

 それは「オイッ次郎、もう此処には俺達二人の他には誰も居なくなったぞ。」と言って、彼の肩を叩いた時であったが、突然「ワアッ」と言う叫声が、熊の檻の在る家の方向から私達の耳に届いた。

 次郎が「ハッ」として夢幻の境地から自分と言う者を呼び戻したのは、彼の肩を叩いた私の声と言うよりも、「ワッ」と言う叫声につれて、熊の檻の在る家の表に起きたどよめきの騒々しさであったらしかった、と言うことは、「オイッ、俺達がボンヤリして居る間に、もう熊祭は始まって居るぞ。」と言って次郎が、雪を蹴って一目散に駈け出したからであるのだが、私も彼に遅れてなるかと言った意気込みで、彼と同じように雪を蹴ってその後を追った。



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 私と次郎が駈けつけた時には、既に熊は檻から出されて居て、その太い首には麻縄で作った首輪を篏められて居た。そしてその首輪の右と左には、長さ二米程の麻縄が、馬の手綱のように結びつけてあって、其の両端を二人の青年が呼吸を合わせては引合って熊が勝手に行動をすることが出来ないように制御をして居た。

 次郎と私も、そうした熊を取巻いて居た人垣の中へ早速融け込んだのであったが、その人垣の中にそうしたことを偶然とでも言うものであったかも知れないが、未だ学校を卒業するまでの私が毎日校庭で次郎共々仲好く遊んで居た少年であって、その母親は愛奴であった鳥取県人の和人を父に持ったことが自慢の木下常三郎と言う少年と、その母親の縁に連なる従兄弟の仲だと言って居た、同姓の徳太郎と言う少年が居た。

 この木下姓を名乗る二人の少年は、学級こそ私より二学級下ではあったのだが、そのいづれもが、私と同年輩の少年であった。

 「オイ義章さん、お前は次郎と来て居たのか、お前は熊祭と言うものを見るのは、今日が初めてだべ。俺達だって滅多に見られないんだから無理も無いんだけどなあ。あの熊はなあ、もうすぐ弓で射殺されてしまうんだぞ。」と、常三郎が教えてくれたので、私は吃驚したものであった、それがあまりにも惨酷な行事に思えたので、「オイ、もうあの熊は弓で射殺されてしまうのか、今までよ、自分の家の家族のように養ってきた熊をよ、どうして殺さなきゃならないのよ、可哀想な話じゃないか、熊祭と言うのは、そんな惨酷なことをするお祭なのかよ。」と、私は常三郎を詰ったのだが、「義章さんよ、俺もお前と同じような気持なんだけどよ、昔からよ、熊を義経様さ捧げるのが、愛奴の因襲的な行事だからよ、どうしようも無いんだ。」と言って、常三郎は一寸眉を顰めて見せた。