履 歴 稿 紫 影 子
北海道似湾編
カイカウニの熊祭 4の4
その頃から、和人の一般観衆がポツポツ帰り始めたので、私も「オイ、俺達も帰るべや。」と、次郎を促して帰ろうとした時に、最前花矢をくれた常三郎の伯父が、私の肩を叩いて、「綾井さんのセカチ、お前未だ帰るなよ、常三郎、お前達も皆こっちさ来い」と、次郎、常三郎、徳太郎そして私と言った四人を屋内に招き入れて、限りある人達の中に同席させてくれた。
熊の屍体は、青壮年の人達の手によって、屋内に設けた祭壇の前に運ばれて、恰もひれ伏して額づいて居るような形に置かれた。
次第に暗色を増して行く室内には、三分芯にともった洋燈の灯が静かに揺れて居た。
やがて陣羽織の老人が、種油を使ったカワラケの灯が微かながらもパッパッと音をたてて居る祭壇に額いて、愛奴語の祝詞を唱え始めると、集まって居たハボやメノコと言った婦人達が、その日まで交代で餌を与えては飼育をした熊の死に、哀惜の情がそうさせたものであろうが、たまりかねたように、お互の肩を抱き合って号泣して居た。
女の人達がこのように悲しむのは、冬眠中の穴熊を襲って仔熊を生捕て来ると、その仔熊の離乳期までをこの婦人達が交互に自分達の乳を飲ませて生育させたものであるから、それが伝統の行事であると言うことで、一応諦めては居るものの、その熊の死に対する感懐が、恰も愛児の死に等しい心理状態になるからだ。と常三郎が言ったが、少年の私にもそれは無理からぬことだなと頷づけた。
「オイ、お前は熊が木に登れると思うか。」「イヤ、熊は木に登れないよ。」「冗談言うな、木に登れる奴も居るんだぞ。」とか、「熊と出合ったら、死んだ真似をすると、熊はもう喰わないんだ。」「イヤ、そりゃ嘘だ、そんなことしたって駄目だとよ、顔を叩いたり、引掻いたり、コロコロ転がしては、ほんとに死んで居るかどうかと言うことを試すんだから、そんな真似をしたってとても駄目だってオヤンヂ達は言って居るぞ。」等と、熊の生態や獰猛さについて、私達四人の少年が知って居る範囲の知識を語り合って居る間に、熊は青壮年の人達の手によって、皮は剝がれ、肉は骨を抜かれて居た。
剝がれた熊の皮は、矢張り熊が額いてひれ伏て居るような形にして、再び祭壇の前に置かれたが、その肉はハボやメノコと言った婦人達の手で料理をされて、大きな鍋で煮られた。そして其の鍋の肉が煮えると、やがて炉辺では、その熊の肉を肴にした男の人達の酒盛が始まった。
「そら、お前達も此の肉食えよ、さっきな常三郎から聞いたんだけどなあ、綾井さんのセカチは熊祭を見るのは今日が初めてだってなあ、この熊祭はなあ、俺達愛奴が義経様さお礼をするお祭よ、今に踊りも始まるから終るまでゆっくり見て行けや、帰る時はなあ、家のセカチに馬橇で送らせるから、心配しないで遊んで行けよ。」と言って、ゆらぐ洋燈の灯に、肩までの白髪が銀色に映える此の家のハボが、野菜と熊の肉を煮付た物を、三平皿と呼んで居た大きな皿へ山盛にして、萩の木の皮を剝いで作った丸木の箸を添えたものを次々と私達四人の前へ置いて行った。
その熊の肉のご馳走に、「オイ、美味しいなあ。」「美味しいなあ。」と、私達四人は舌鼓を打ったのだが、熊の肉と言うものを、この時初めて食べた私にはその味が、郷里の香川県に居た時代に、土佐の沖で捕れた鯨の肉を食べた時の味覚と同じように感じた。
私達が一皿を食べつくすと、「遠慮をするな。」と言って、ハボがお代りをしてくれた
。 最初の一皿は、北海道では一番の猛獣だと聞かされて居た熊の肉と言うことで、若干薄気味が悪かった関係か、「美味しい。」と他の三人に共鳴はして居たものの、さほどに珍味とは思わなかったのだが、その一皿で味に馴れたものか、実に美味かったので、そのお代りの一皿は、瞬く間に平げてしまった私であった。
ハボが私に言った踊りが始まったのは、午后の七時頃ではなかったかと、今の私は思って居るのだが、私達が三皿目の熊の肉を平げて満腹の腹を四人が撫でさすって居た時であった。
その時の屋外は、白皚一色の大地に弦月が鋭く冴え返って居て、昼を思わせる程の雪明りであったのだが、屋内では夜の帳の中に榾火の焰が、その炉辺で酒を汲み交す男達の頰に揺れて居た。
「オイ、ボツボツ踊りを始めるべや。」と言った老人の一人が愛奴語で歌い始めると、居合せた男達の全員が起きあがって、その歌に合わせて祭壇の前で踊を始めた。
老人の歌う歌は、あまり変化の無い節廻しではあったが、私には何か言い知れぬ哀愁の情がこもって居るように感じられた。
「馬橇で送ってやるから。」と言ってくれるのを、「気の毒だから。」と言って、私が辞退をすると、「そんなら、これを持って帰ってよ、ニシュパに食わせてくれや。」と言って、ハボが榀の木の皮で編んだ手製の手提袋に入れてくれた五百瓦程の熊の肉を貰って、「どうも有難う。」とお礼を言った私は、「また遊びに来いよ。」と言う、ハボの声に送られて、次郎達と四人で表へ出た。
星空の表は冴え返る弦月に光を返す大地の雪明が、村を挾んで奥地の十勝から南の太平洋岸へ向かって走って居る、東西に分れた冬木立の山脈を薄黒くぼかして居た。
「サイナラ。」と挨拶を交して常三郎と徳太郎に別れてからは、次郎も、そして私も、それは二人の満腹感がそうさせたのだと、今の私は思って居るのだが、お互が無言の儘で、凍てた雪がギュッギュッと下駄にきしむ音と、何処からともなく聞こえて来る犬の遠咆の他は、寂寞とした道を二人は家路へ急いだ。
「オイ、また明日な。」と言って、次郎と別れた私が道路からの小路を玄関まで帰った時に、「どうした、義章は未だ帰らんのか。」と言う父の声が、座敷の寝室の窓から私の耳に届いた。
「只今。」と、私が玄関を這入ると、私の食器だけが残って居る食卓の傍で、何か裁縫をして居た母が、「おお、お帰り、だけど随分遅かったなあ、お腹が空いたやろう。」と言って、迎えてくれた。
「お母さん、熊の肉をこんなに沢山貰って来たよ。」と言って、私が熊の肉の這入っている榀の木の皮の手提げ袋を母に渡してから、今日の熊祭の模様をあれこれと話して居る所へ起きて来た父が、「何、熊の肉を貰って来たってか、お父さんは未だ食べたことの無い肉だから、今晩早速食べて見るとしようか。」と言って、早速自分で料理をしようとしたので、「お父さん、お酒残って居るの。」と私は、珍しいからと言っても、熊の肉だけを煮て食べてもつまらないだろうと思ったので、尋ねて見た。
青年時代までの父は、一滴の酒も口にしなかった人であったそうだが、その頃では、評判の酒豪になって居て私が毎日山岸さんの店から買って来る桝に一杯(二合五勺)の晩酌では少々物足りない様子であった。
「お酒はもう一滴も無いわ。すまんけど、お前一走り山岸さんへ行って買って来ておくれ。」と、母に言われたので、私は四合壜を持って、早速山岸さんの店へ走った。
その時、時計は既に十時を廻って居たので、田舎の店は兎角早寝だから、もう閉って居るのではないかと、心配しながら走ったのだが、幸い山岸さんの店は未だ起きていた。
そうした私が酒を提げて帰った時には、熊の肉が美味しそうな匂を茶の間一杯にただよわせて、七輪の鍋でぶつぶつと音をたてて煮えて居た。
早速母が燗をつけると、頗るご機嫌の父は、「美味しい」「美味しい」と言いながら、盃を傾けて居たのだが、未だ残って居た晩酌の酔が、意外と酒の廻りを早めて、二本目の銚子に手をつける頃には、大分呂律が怪しくなって居た。
二本目の銚子に半分程の酒を残してストーブの傍へ横になった父を、母と二人で寝床へ運んだ私も、早々自分の寝床へ潜り込んで、生れて以来初めてと言う、珍しかった熊祭の一日が終わった。



