Cameraと散歩

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履歴稿 北海道似湾篇 私の兄と、局長さんの長男 5の1

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履 歴 稿    紫 影 子  

北海道似湾編
    私の兄と、局長さんの長男 5の1

 それは師も走るという十二月の上旬に結氷をした、鵡川川の氷が破れて、日々に芽ぶくれる川岸の柳からも、漸く私達の身近に春の息吹を感じさせるようになった三月中旬の或る日のことであったが、学校帰りの常三郎が、突然私の家を訪れた。

 彼と私は、私が未だ在校中の校庭では、いつも仲良く遊んだものであったが、次郎のように家と家との往き来はお互いにして居なかったので、私も彼の家を訪れたことがそれまでに一度も無かったのだが、彼もまた私の家を訪れたことは無かった。

 そうした関係にあった二人であったので、彼の来訪を不審に思った私は、「オイ、常三郎、突然どうしたんだ。」と彼に尋ねた。

 すると彼は、「俺なあ、学校さ行くべと思って家を出ようとした時によ、俺のお父さんによ、キトビロ(現在では愛奴葱とも言って居る)をよ、お前の家さ持って行けと言われたのよ、その時俺はなあ、“愛奴はキトビロ臭いって、学校でも和人の子供達は言って居るぞ”だから綾井さんの家へ持って行ったって、“どうも有難う”なんて言ってはとても貰ってくれないぞ、と言ったんだ、そしたらなあ、お父さんがよ、“この馬鹿野郎”と俺を怒鳴ってよ、“常三郎、良く聞けよ、お前の父である俺は和人だ、でもよ、お前達子供は矢張り愛奴としてしか和人からは認められて居ないのが実状だ、だがな、綾井さんの奥さんはよ、体の弱い人だということを俺は聞いて居るんだ、そしてなあ、役場の綾井さんと言う人はなあ、とても偉い人なんだ。これはなあ、俺が市街地さ行った時にトノサムク(姓は小石川と言って、嘗て次郎が私のために馬を借りた、その前身は往時の酋長であった人)の家さ寄った時によ、それは今年の二月のことなのだが、その時トノサムクは俺にこんなことを言ったぞ。
 それはよ、ニセップ古潭のエベツネアン(その姓は小林と言った)がなあ、戸籍のことでよう、役場さ呼ばれたんだそうだ、その時エベツネアンは、早速その日に戸長役場さ行ったんだとよ、だけどよ、エベツネアンと言う男はなあ、お前も知っているだろうが、和人の言葉はあまり判って居ない男だぞ、そして文字と言うものは一字も判って居ない男だぞ、だから係の人も閉口をしてしまってよ、とうとう怒り出してしまったそうだ、その時によ、綾井さんが其処さ来てよ、係の人にエベツネアンを呼び出した理由を聞いて、「それなら、俺が解決をつけるから。」と言って、エベツネアンに何度も聞返しながら、どうにか、その書類を纒めてくれたそうだ、その時の親切が嬉しかったので、エベツネアンがよ、その翌日の夕方によ、自分で搗いた稲黍餅を持ってお礼に行ったんだとよ、するとどうだ、綾井さんの奥さんがよ、裸足(当時の愛奴の老人としては普通の状態であった)のエベツネアンの足を洗ってやってよ、座敷で酒をご馳走してくれたんだそうだ。





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 エベツネアンとしては、そうしたことは生れて初めてのことでもあったので、とても嬉しくてたまらなかったのだそうだ、だからよ、その帰りの途中でトノサムクの家さ立寄って、その状況を泣いて話したそうだ、その奥さんがよ、体が弱いので、お前や徳太郎がいつも仲良く遊んで貰って居る義章さんと言う子供がよ、畑の仕事やご飯炊きの仕事を手伝って居るんだそうだ、と言うことを、布施の次郎から聞いたと言うことを、俺はトノサムクに聞かされたんだ、お前も言ったようになあ、キトビロは確かに臭い匂を持って居る天然野菜だが、お前の父親である俺も和人だ、だから和人がキトビロを嫌うことも判る、だがな、とてもじゃないが、その栄養価値については、とうてい和人には想像の及ばない力のあることを俺は身を以って体験をして居る、だからよ、キトビロと言う物は、食ったその日は確かに臭いが、二日位間隔をおいて食えば何んとも無いのだから、そのキトビロをよ、綾井さんの家さ持って行って、今俺が話したことを話してよ、奥さんに食べて貰えよ、”と言われたんだがな、お前も知って居るべよ、学校さ行ってもよ、愛奴はキトビロ臭いから嫌だって和人の子供達が馬鹿にして居たべよ、そのキトビロをよ、お前の家さ持って来るのは、なんとなく気が引けてよ、今朝は持って来なかったのよ。
 だけどよ、俺も時々食うんだけどなあ、とても美味しいもんだぞ、もしなあ、おばさんが食べて見ると言うんであればなあ、これからよ、俺と一緒に俺の家さ行くべよ、お父さんに言われてなあ、お母さんが良いキトビロを沢山採って来てあるんだ。」と、常三郎が伏目勝に母を見ながら言ったのであったが、その時、「義章、この子誰だかお母さんは判らないのだが、そんなにまで心配をしてくれて居るのであれば、お母さんは喜んで食べるから、お前、ご苦労だけど一緒に行って貰って来ておくれ。」と言った私の母は、「どうも有難う、帰ったらネ、お父さんやお母さんに宜敷言っておくれ。」と言って、帯の間から取り出した財布から十銭銀貨を一枚つまみ出して、無理からそれを常三郎に握らせた。





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 「オイ、手籠を持って行けよ。」と、常三郎に言われる儘に、母から竹製の手籠を受取った私は、常三郎と共に彼の家に行った。

 「おお、わざわざ来たのか、俺はなあ、今朝よ、常三郎に持って行けと言ったのだけどよ、此奴が何んだかんだと言って持って行かなかったんだよ、あんたは内地(香川県の意味)の千人から生徒が居た大きな学校でも、優等生だったんだってなあ、いや、そのことはなあ、大矢校長先生から俺はチャンと聞いて居るよ」と、若干酒の這入って居るらしかった彼の父親は、私の訪れたと言うことをとても喜んで迎えてくれた。

 「わざわざ来てくれてすまんな、今朝常三郎の奴が持って行けば何んのこともないのになあ、此奴が持って行かなかったもんだから、とんだ苦労をするなあ、このキトビロと言う植物はなあ、精分がとても強いんだな、だけどよ、毎日続けて食うと独特の臭い匂が体臭になるんだ、だけど美味しいもんだから愛奴は毎日食うんだ、だからその体臭を和人は、愛奴の側へ寄るとキトビロ臭いって言うんだ、だからなあ、持って帰ったらよ、お母さんに、“一日か二日、中をおいて晩ご飯の時に食べなさい”って俺が言って居たと伝えてくれよ、とても体に良いのだから、これを食べたら、お母さんは屹度丈夫になるよ。」と教えてくれた。

 私は常三郎の母親が、キトビロを一杯詰めてくれた手籠を持って、「どうも有難う。」と、礼を言ってから早々表へ出たのであったが、その途端に不図一月の熊祭のことを思出して、その時のお礼を言おうと熊を祭った家に立寄った。