「第26回 松尾由紀子 書の個展」が千歳市民ギャラリー2階で開かれている。
2018年9月19日(水)〜23日(日)10:00 〜19:00 最終日は16:00まで
そらを ひとはき 風 はしる
水音
虹色に くも
雪
樹氷の 林に 光 さしこみ
虹色に くも
桜花
虹色に くも
虹かかる 朝
180908 ダイナ・ワシントン
ダイナ・ワシントン
1924/08/29 アラバマ州タスカルーサ出身〜 1963/12/14 ミシガン州デトロイトで死亡 39歳 ブルースの女王
Dinah Jams / Dinah Washington <邦題 ダイナ・ワシントン・ウィズ・クリフォード・ブラウン> 1982/09/05に購入している。
1963年12月14日の朝、デトロイトの家のベッドの中で39歳の若さで急死していたダイナ・ワシントンは、どちらかというと日本人にはわかりにくい名歌手であった。
それは彼女のフレージングとイントネーションが、独特であり、フル・ヴォイスで歌われる時のリズミックな起伏は、バックの4ビートの他に、もう一つのうねるような大きなリズム感をつくりだしてゆくといった、パーソナリティをもち、さらに単語のシラブルが数音に分割されるといった、不思議な唱法だったのであるが、英語を母国語としないわれわれには、そういうスタイル上の特徴が、もうひとつ明快に把握しかねたのである。 〜 ライナーノートより【解説 / 油井正一】
15歳の時、シカゴのリーガル劇場で行われたアマチュア・コンテストに出演し、ポップスを歌い優勝。
18歳の頃、ナイトクラブでジャズ・シンガー/ピアニストとして活動。
1943年、ライオネル・ハンプトン楽団に入団。
1945年、自己名義でアポロ・レーベルに12曲をレコーディング。まもなくマーキュリーと契約。
1958年、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。
1962年、ルーレット・レコードに移籍。
1963年12月14日、睡眠薬・痩せ薬とアルコールを同時に過剰摂取したことにより急死。
ブルースよりもジャズ歌手としての功績・認知が大きい。
マーキュリーでは、ジャズやポップスのスタンダード・ナンバーを多く録音。
マックス・ローチやクリフォード・ブラウンを含むグループと共演。
ブルースやゴスペル色が強い大胆な即興やシャウトを用い、ジャズ界において独自の地位を確立した。
ハスキーなアルトの声域や力強いビブラート、歯切れの良い発音や発声が特徴。
〜 Wikipediaより
180903 ミニー・リパートン
ミニー・リパートン 1947シカゴ生まれ〜1979/07/12 死亡 31歳
1976年乳癌と診断され同年手術
1978年腕に転移判明
5オクターブ半という広い声域を持ち、特に超ハイトーンが有名と。
ソウル・ミュージックの範疇に留まらないブラック・コンテンポラリー・ポップスというべき質感をどんどん表現していった。
このアルバム「LOVE LIVES FOREVER(邦題 愛・生命・永遠)」は1980/12/29に購入した。
「生き、愛し、歌い続けた若き天才歌手ミニー・リパートン。死に直面してなお愛と生を高らかに歌った感動のラスト・レコーディング」
〜と、ライナーノーツの最初に書かれている。
参加ミュージシャン
スティービー・ワンダー
ジョージ・ベンソン
マイケル・ジャクソン
ロバータ・フラック
ビーボー・ブライソン
トム・スコット
ヒューバート・ロウズ
パトリース・ラッシェン
リー・リトナー
ハービー・メイスン
他
これら著名なゲストたちは皆、生前のミニーと親交の深かった友人たちばかり。
SIDE 1
充ち足りた午後 HERE WE GO
アイム・イン・ラヴ・アゲイン I’M IN LOVE AGAIN
奇妙な世の中 STRANGE AFFAIR
SIDE 2
陽のあたる島 ISLAND IN THE SUN
この命尽きるまで GIVE ME TIME
私のお気に入り YOU TEKE MY BREATH AWAY
生命の歌 THE SONG OF LIFE(La-La-La)