Cameraと散歩

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231222 北海道似湾編 似湾沢 9の7

IMGR079-02

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編 似湾沢
  似湾沢 9の7


 浩治少年のお母さんは、勿論そうしたことが心配であったから、閑一さんを起こしたものであったが、その閑一さんにそう言われた時には、生きた心地はしなかったそうであった。

 表へ出た閑一さんは、「お母さん、浩治の奴とんでもないことをしでかしたぞ、あれご覧よ、隣りの家も、義章さんの家も、未だ起きて居るではないか。」と言って、やがては有明の灯となろうやもしれない洋燈の灯が、窓からそのにぶい光を闇に吸わせて居るのを指さして、お母さんをおろおろさせたそうであった。

 「浩治の奴は熊に殺られても仕方ないが、他の三人に間違いがあったら申訳が無いぞ、隣りは老人と病人(多盛老人の後妻の夫人は病臥中であった)だしなぁ、よし、俺義章さんの所へ行って相談してくる。」と言って閑一さんが、私の家を訪れたそうであった、そうして父に「義章さん、弟の奴が悪いんだけど、どうなって居るか。私はこれから行ってきます。」と言ったので、「そんなら私も一緒に行く。」と言って父は、その正面には鷹の羽の打つがえと言う家紋を描いた祖先伝来の弓張提灯を持ち出して、私達兄弟を不埒な奴つと呟きながら、閑一さん母子に連れだったのだったのだ、と言うことであった。




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 池田さんの家の前で浩治少年とそのお母さんに別れた私達父子、そして閑一さんに保君と言った五人は、学校の坂を登ったのであったが、その道々「熊の咆哮を聞かなかったか。」と閑一さんに聞かれたので、その咆哮の恐ろしかったこと、また幾度も転倒しながら暗闇の渓流を泣面で歩いたこと等を話しながら歩いた。

 そうした私達五人は、多盛老人の家の前から「爺さん、保帰ったよ。」と閑一さんが声を掛けると、老人と保君のお母さんが周章てて出て来た。

 私は、「馬鹿野郎。」とか、何んとか言って、保君が叱られるのでは無いかと密かに心配をして居たのだが、結果は意外と「オオ保、よく帰って来たなぁ。」ととても喜んで居た。

 其処で閑一さんとも別れて私達は、家に帰ったのであったが、待ちわびて居た母は、涙を流して喜んで居たが、その時の母の顔が、今も私の目に浮かんで見える。




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 それは私達兄弟が、井戸端で足を洗って台所で手や顔を洗って茶の間へ這入った時のことであったが、「お前達は二人で何尾位釣ったんだ。」と父に問われたので、早速私は台所の流しの上に置いた魚籃を持って来て中を覗いたのだが、その瞬間私は思わず「オヤッ」と驚声をあげた。

 私自身としては、少なくとも三十尾は釣ったと思って居たヤマベが、魚籃の中には僅か六尾しか這入って居なかった。

 「変だな、確か三十尾位は釣った筈なんだけどなぁ、只の六尾しか這入って居ないや。」と私が呟くと、「何、六尾しか這入って居ないって。」と言って、兄も急いで自分の魚籃を覗いたのだが、その兄の魚籃にもヤマベは五尾しか這入って居なかった。

 私達兄弟には、その原因がすぐ判った、と言うことは、私達の魚籃には蓋が無かったので、幾度か水苔に足を滑らして転倒した時に、ヤマベを渓流へ流してしまったのであった。

 「何んだお前達、今までかかって二人でたったの十一尾か。」と、父に笑われたのであったが、私達も熊の咆哮に怯えて、無我夢中で渓流を歩いて居た時には、ヤマベのことなど全然念頭に無かったのだが、無事に帰り着いてみると、「ウム、残念なことしたなぁ。」と今更のように、渓流へ流したヤマベの数を惜む二人であった。