履歴稿
履 歴 稿 紫 影 子 北海道似湾編 私の弟と烏 6の6 当初私は、「弟の奴、何故あんなことをするのかな。」と不審に思って見詰めて居たのであったが、そうした私の目が其処に意外な光景を捕えたので、「ウム、そうだったのか。」と頷けたのであった、併しその…
履 歴 稿 紫 影 子 北海道似湾編 私の弟と烏 6の5 その時の弟と私の距離は、二十米程しか無かったのだが、周章た弟は、その途中で二、三度転倒をしたのだが彼は起きあがり、起きあがり、夢中になって駈け寄って来た。 当時の似湾では、洋服を着て居る者と…
履 歴 稿 紫 影 子 北海道似湾編 私の弟とカラス 6の4 弟は親子三人分のお握弁当と母が、その日蒔かんとする、青豌豆の種をグルグル巻にした風呂敷包を右肩から、左脇下に背負ってその右手には、空手籠を持って居た。 「おお義憲、お前弁当持って来てくれ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 私の弟と烏 6の3 私の母は、胃弱と言う持病があったので、いつも薬湯に親しんで居た人であったから、過激な労働は出来ない人であった。従って、住宅の付近にある家庭菜園を耕作するのが精一杯であったのだから、小出さんか…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 私の弟と烏 6の2 当時、似湾村としての一般的な食生活は、米と麦或は稲黍・粟・稗・馬鈴薯・南瓜等を混合したものが主食であって、馬鈴薯・生唐黍・南瓜の類は、その季節ともなれば塩煮にして、一食は必ず食したものであっ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 私の弟と烏 6の1 大正元年の秋に着工をした戸長役場の新庁舎と吏員住宅が落成したのは、私が尋常科の六年に進級をした大正二年の五月頃であったように覚えて居るのだが、それまで市街地の中程にあった寺の説教場を改造して…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 吹雪 10の10 そうだ、俺達は睡ったんだなと思うと、私はこの逓送の馬橇が人馬共に神々しくさえ思えた。 そうした私は、嘗て秋の椎茸狩の日に「北海道では、吹雪で人が死ぬんだぞ。」と言った保君の言葉を、「うん、うん」と頷…
履歴稿 紫 影子 北海道似湾編 吹雪 10の9 その時の私は、恰も無神経のような状態になって居たので、寒い、冷い、餓じい、と言った類の苦痛は、少しも感じなかったものであったが、執拗に襲って来る睡魔に、ウツラウツラして居たものであったから、兄と弁当の…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 吹 雪 10の8 いつもならば、とっくに通り過ぎて居る筈の中杵臼の部落へはまだ二、三百米は歩かなければならないと言う所まで来た時に、突然兄が足を止めて、「義章、俺はもう歩けんわ、だから此の林の中で少し休んで行こうや…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 吹雪 10の7 例によって、市街地の郵便函を開函して帰った私は、兄が大別してあった、キキンニを始め、自分が担当をして居る区域の郵便物を、いつものように区分をして学生鞄に詰めたのだが、その日の量が特に多くて詰めきれな…
履歴稿 紫 影子 北海道似湾編 吹雪 10の6 私達が郵便局へ帰ったのは、午后の八時を三十分程過ぎた時であったが、早速各所の郵便函から集めて来た郵便物を、事務の閑一さんに引継いで家へ帰ったのは、それから三十分程後のことであった。 「今日は、昨日より…
履歴稿 紫 影子 北海道似湾編 吹雪 10の5 元来、キキンニ部落の人達は、学童の通学も、そして日常の所用も、渡船場を利用して対岸の似湾村と往来をして居たので、この山道を利用する者は、郵便配達以外の者は至極稀だと兄は言って居たが、私は淋しくて嫌な道…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 吹 雪 10の3 兄の発令は、十月二十日付であったが、月末までの十日間は見習として前任者に同行して集配区域を覚えた。 兄が担当した集配区域は、郵便局を境にした似湾村の南部一帯と、隣村の生べつ村全村であって、その往復の…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編吹 雪 10の2 そして、保君の話が真実となって、私に身近な体験をさした。 保君が言ったように、風も確かに音を立てて唸った、そして深夜に大木の幹が、バリバリと言う音を響かせて裂る音もしばしば私は聞いたのであった。 郵便…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 吹 雪 10の1 四方の山々が黄褐色に、或は紅に色づき始めた頃のことであったが、春のあの日と同じように、校長先生に引率をされて、全校の生徒が裏山へ椎茸狩りに行った。 その日は、日本晴の空が高く澄きって、山頂は丈伸し…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 函開け大将 4の4 現在では既に姿を消してその影すらも無いと思うが、当時の郵便函と言うのは、その高さが五十糎程そして幅が四十糎程であって厚さが三十糎程の函を柱に取付けてあったものであった。 山岸さんの店の前の柱に…
> 履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 函開け大将 4の3 雨の中を家に駆け込んだ私が、このことを母に話をすると、「義章、お前それをやれるか、なかなか辛いと思うぞ。」と母は言ったのだが、私には自信が持てたので、「お母さん大丈夫だよ、俺はやるから。」と…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 函開け大将 4の2 似湾へ移住してからの私は、学校の授業が終って家に帰ると、必ず毎日のように遊びに来る保君と家の前とそして横にあった畑に、母が出て居る時には、二人でその畑仕事を手伝ったり、また翌日の炊事に使う薪を…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 函開け大将 4の1 私の父は、似湾へ引越た年の四月十七日付で似湾外三ケ村戸長役場の臨時筆生に採用をされて、その戸長役場へ勤務をすることになった。そのことを父の履歴稿には、 一、明治四十五年四月十七日、勇払郡似湾外三…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の9「お母さん、池田さんのおばさん何しに来たの。」と私が母に尋ねると、「浩治さんと同じようにあやまりに来たんだよ、そんなに気にすること無いのになぁ。好い人だからじっとして居れんのじゃろ。」と母が言って居…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の8 その翌朝、と言うよりも、その日の朝のことであったが、「義章、浩治さんが来たよ。」と母に呼び起こされた私が、「眠たいのになぁ。」と渋々寝床を這出して、目をこすりながら玄関へ出てみると、「オイ、大丈夫…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 似湾沢 9の7 浩治少年のお母さんは、勿論そうしたことが心配であったから、閑一さんを起こしたものであったが、その閑一さんにそう言われた時には、生きた心地はしなかったそうであった。 表へ出た閑一さんは、「お母…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の6 私達が渡船場に着いた時には、渡守の家の灯は消えて居て、既に寝静まって居た。 「オイ保、お前オヤンヂ(愛奴の大人を和人はそう呼んだ)を起こせよ」と浩治少年に言われた保君は、戸閉りはして無かったので、簡…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の5 それがどれほど下流へ戻ったかと言うことは、夢中で歩いて居た私には判らなかったのだが、突然、右側の密林から私達が恐れて居た熊がウオッウオッと、咆哮をし始めた。 そうした熊の咆哮は、必ず木霊してその物…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の4 沢は上流へ登るに従って幅が狭まっていたが、流れが速くなって居たので、溪流の瀨瀬らぎは、ともすれば私達の話から声を奪うことがあった。 また、その両岸には、楢、楓、桂と言った類の雑木が、連抱の大樹となっ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の3「さぁ、これから愈々ヤマベ釣りだぞ、だけど餌を取らなきゃならんな。」と言って保君は、橋下の岸一面に生えて居る蕗を引抜いては、其処から蚯蚓を、一匹二匹と摘み出して居た。 「オイ保、俺達の分も取ってくれ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の2 池田さんの家は、学校の坂を降った所を流れて居る小沢の土橋を渡った右側に在った。 私達と一緒に行くと言う池田さんの浩治君は二男坊であったが、当時の似湾には小学校の高等科が無かったので、二十粁程離れた…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の1 「オイ、義章さん、今日ヤマベを釣りに行かないか。川向の似湾沢だが、天気が良いから屹度面白いぞ。」と突然保君が誘いに来た。 私はヤマベと言う魚がどんな魚か、また保君の言う面白いぞと言うことが、どんなこ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 木菟と雑魚釣り 3の3 私達が雑魚を釣りに行ったこの小沼は、その昔台地の下を流れて居た、鵡川川が残して行った残骸であって、それを言うなれば古川なんだ、と保君は言って居たのだが、雑魚は実に良く釣れた。 その小沼へ糸…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 木菟と雑魚釣り 3の2 それは、その日の黄昏時のことであったが、ニセップと呼んで居た古潭に住んで居た布施と言う姓の少女が、カケスよりは幾分小さかったが、黒い色の耳が頭上の両脇にピンと立って居る鳥を持って来てくれた…