Cameraと散歩

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履歴稿

210911 北海道似湾編 生べつ村 3の1

履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 生べつ村 3の1 私達の目的地は、胆振の国の勇払郡鵡川村字生べつ村と言う所に在った小学校であったが、私達が1泊をした鵡川村本村の市街地から、その生べつ小学校へは、本村に川口がある鵡川川の上流へ約20粁程の道程があっ…

210825 北海道似湾編 移 民 3の3

履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 移 民 3の3 岩見沢駅から、室蘭本線の列車に乗換えた私達は、終着駅室蘭との略中間に在る沼ノ端と言う駅に降りた。 その当時の沼ノ端は、駅前に12、3戸の家屋が在ったに過ぎない田舎であったが、私達の行かんとする、「鵡川…

210811 北海道似湾編 移 民 3の2

履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 移 民 3の22 私達は、其処から黒潮の流れる津軽海峡を青函連絡船で、愈々北海道へ渡るのであったが、青森の港を出港して、海峡の中程を航行して居た連絡船の甲板から、「あそこに見えるのが北海道だぞ。」と、父が指さした…

210803 北海道似湾編  移 民 3の1

履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 移 民 3の1 父母を始め私達兄弟が、移民となって北海道へ渡った日時を父はその履歴稿に、 一、明治45年4月2日、午后7時、丸亀駅発、北海道移住 のため渡道の途に上れり。と、記録をしてあるが、此の時、北海道へ移住をした…

210708 香川県編 屋 島 3の3

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 屋 島 3の3 また、壇の浦は源平合戦の昔、梶原景時と、須磨の浦で逆櫓の争いをしたと言う源義経が一の谷の戦に敗れて屋島へ落ちて行く平氏を追った時に、荒天の激しい風波に流されて平氏の拠った屋島超えて志度と言う所に上陸を…

210705 香川県編 屋 島 3の2

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 屋 島 3の2 私達親子は、その茶店で一休みしてから更に頂上への道を歩いたのであったが、その道道「あの茶店を食わずの梨の茶店と言うのは、弘法大師と言う傑僧が屋島寺を開山しようと此の道を登った時に、それが杣夫の住んで居た…

210630 香川県編 屋 島 3の1

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 屋 島 3の1 北海道に移住することを決意した父が、これが最後になるやも知れん思出にと、留守居に母と次弟を残して、兄と私と言う2人の子供を連れて、祖父の弟が院主をして居た屋島寺に行った。 この時の屋島寺は、宝物の展覧会を…

210606 香川県編 第四の新居 3の3

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第四の新居 3の3 私の家は、4月2日に丸亀市をあとに遠く離れた未知の北海道へ移住の旅路についたのだが、私の家が何故北海道へ移住をすることになったのかと言う動機は、それは第三の家に住まった時代のことであったが、横の小門…

210509 香川県編 第四の新居 3の2

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第四の新居 3の2勝手口の角から、右に廻った家の真裏は外塀との間が10米程あって其処に、石榴の木が5本と橙の木が1本あった。 そして石榴の木には直径が8糎程の実が沢山なって、やがて実の熟する頃ともなれば、外皮の1箇所が大き…

210311 香川県編 第四の新居 3の1

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第四の新居 3の1私が四年生になった春に、私達は第四の家に引越した。この第四の家は、嘗て私達が住んで居た第二の家から約50米程離れた所に在って、その第二の家から右に行き当った所に門を構えた東向きの家であった。門を這入っ…

210220 香川県編 八幡神社 2の2

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 八幡神社 2の2また花車は、それが花柳街の人達であったのかも知れないが、三味や太鼓で賑かに囃したてては威勢の良い若衆に綱を曳かせて、町から町を練歩いては、所所で綺麗な舞姿の娘さん達に舞を披露させて居た。私が母から貰う…

210107 香川県編 八幡神社 2の1

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 八幡神社 2の1丸亀市の氏神は、亀山上からは西南方に当る郊外に鎮座して居た八幡神社であった。その八幡神社が、亀山城からどれ程の距離に在ったかと言うことは判って居ないのだが、亀山城が軍に解放される祝祭日の日に、頂上へ登…

201207 香川県編 土器川 5の5

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 土器川 5の5イナと言う魚は、大体海に棲む魚だと私は父に教わって居たのだが、この二番凪と言う所が海に近かった関係で満潮時には海水が逆に這入て来て居た。したがって凪の水は若干塩辛くなって居た。そうした満潮時の海水に乗っ…

201113  香川県編 土器川 5の4

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 土器川 5の4それは、私が四年生の時であって、例年のように暑中休暇を祖父の許で過ごした或る日のことであったが、私が未だ幼稚園へ入園して居ない時に、父に連れられて上原家を訪れたことがあったが、その時祖父と共に暮らして居…

201101 香川県編 土器川 5の3

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 土器川 5の3それは石垣の下部に洞窟があったことから想像をした人達の間に生まれた、単なる噂であったかも知れないが、その洞窟の中には大蛇が棲んで居て、真夏のよく晴れた日中には、時折その無気味な巨体を長長と水面に浮かべて…

201030 香川県編 土器川 5の2

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 土器川 5の2柳淵から西北へ斜に流れて居た五十米程の瀬は、鯉ぞう凪と言う深みに流れ込んで居たが、その鯉ぞう凪から川は、また南北へ直線の流れになって居た。そしてこの鯉ぞう凪の淵も石垣が施されて居て、その深みには鯉が沢山…

221022 香川県編 土器川 5の1

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 土器川 5の1 土器川は、丸亀市に隣接して居た土器村(現在は、市に合併して土器町と呼んで居るらしい)の一部を対岸に、南から北へ流れて瀬戸内海へ落ちて居た。私は、第一の家に住んだ時代から此の川へは良く遊びに行ったものだ…

201004 香川県編 第三の新居 7の7

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第三の新居 7の7 第三の家での思い出としては、この外に次弟の義憲が窓から落ちて頭を負傷した事故があった。次弟の出生を、父はその履歴稿に、一、明治41年11月24日午後6時男子出生(三男)義憲と命名す。 産婆宮本ヒサヨ。と記録…

200926 香川県編 第三の新居 7の6

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第三の新居 7の6 小さい子供達は、その火に怯えて「ワアワア」と声をあげて泣き出したが、「こりやぁ大変なことになってしまったぞ。」と慌てた私は、急いで裸になって脱いだ着物を打振り打振り火を叩き消そうと、紅蓮の炎を追い…

200824 香川県編 第三の新居 7の5

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第三の新居 7の5 第三の家へ引越ししてから、私の性格が大きく変化をした。それは、吉田さんと言う女ばかりの隣へ、毎日のように遊びに行って居た関係であったかも知れないが、ヤンチャ坊主であった私の性質が、とても素直になっ…

200713 香川県編 第三の新居 7の4

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第三の新居 7の4私は、「誰かな」と言った軽い気持ちで、その人の顔を覗いたのだが、その途端私はギクッとさせられた。と言うことは、その人が、私の担任であった柳原と言う先生であったからであった。この私の担任であった柳原先…

200630 香川県編 第三の新居 7の3

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第三の新居 7の3それは、私が三年生に進級をして三学期に這入った直後のことであった。その動機については、本人の私自身が、今に何故あんな馬鹿げたことをしでかしたのかと、首をかしげる程に無根拠無理由のものであった。強いて…

200626 香川県編 第三の新居 7の2

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第三の新居 7の2 新居の西に隣った家は、吉田さんと言って、主人は井戸堀作業の最中に可成り大きい石が頭上に落下して負傷をしたのが原因となって、私達が引越して来た直後に他界したのであったが、その後の家庭は、母親と娘4人の…

200621 香川県編 第三の新居 7の1

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第三の新居 7の1第三の新居に引越したのは、第二の家へ引越した年と同じ年の8月中のことであったと思う。当時私の通学をして居た城北尋常小学校の暑中休暇は、8月の1日から末日の31日までであったのだが、その暑中休暇中の引っ越…

200423 香川県編 第二の新居

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 第二の新居私が父母に連れられて教理の加茂村から引越した第一の新居は、明治の維新前には武家屋敷であったのだが、維新後は清水と言う農家の所有になったと言う家であって、私たち親子はその清水さんの家に借家住居をして居た者…

200305 香川県編 亀山城と歩兵12連隊 その2

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 亀山城と歩兵12連隊 その2 当時善通寺第11師団の歩兵部隊として丸亀に在った歩兵台12連隊の兵舎は、亀山城の直前の内堀から五米程の所に建ち並んで居て、その営門前が丁度城の外堀になって居た。したがって兵舎の営門は、亀山…

200118 香川県編 亀山城と歩兵12連隊 その1

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 亀山城と歩兵12連隊 亀山城は、丸亀市の南端に在って、平地にポッカリと築かれている城であった。 そして小さいながらも、とても形の整った城であった。 明治維新の前には、京極家の居城であったが、その築城は徳川時代の初期に生…

191205 香川県編  喧 嘩

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 喧 嘩祖父を慕う兄の我儘は、母や私をとても困らせたものであったが、或る日の行動があまりにも無茶であったので、それを見かねた姉さんが、「義潔さん、そんな無茶なこと止めな。」と言って窘めたのが悪いと言って、茶の間の障子…

191120 香川県編 入学

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 入 学 満6歳になった私は、明治41年の4月1日に丸亀市立尋常小学校の第一学年生として入学をした。 当時の丸亀市には亀山城を象徴したものか、その校名の頭字に城の字を用いた。 城北、城西、城けん、と称した3つの小学校があった…

190928 香川県編 兄が帰って来た

履 歴 稿 紫 影子 香川県編 兄が帰って来た 倒産をしたので家屋敷を始めとした不動産の整理を済ました私達の家族は、二つに別れてそれぞれ心中の地へ移ったのであった。 私の祖父小三太と言う人は、香川県の綾歌郡山内村字新名と言う所で、漢方医を開業して…