履歴稿
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の2 池田さんの家は、学校の坂を降った所を流れて居る小沢の土橋を渡った右側に在った。 私達と一緒に行くと言う池田さんの浩治君は二男坊であったが、当時の似湾には小学校の高等科が無かったので、二十粁程離れた…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾沢 9の1 「オイ、義章さん、今日ヤマベを釣りに行かないか。川向の似湾沢だが、天気が良いから屹度面白いぞ。」と突然保君が誘いに来た。 私はヤマベと言う魚がどんな魚か、また保君の言う面白いぞと言うことが、どんなこ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 木菟と雑魚釣り 3の3 私達が雑魚を釣りに行ったこの小沼は、その昔台地の下を流れて居た、鵡川川が残して行った残骸であって、それを言うなれば古川なんだ、と保君は言って居たのだが、雑魚は実に良く釣れた。 その小沼へ糸…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 木菟と雑魚釣り 3の2 それは、その日の黄昏時のことであったが、ニセップと呼んで居た古潭に住んで居た布施と言う姓の少女が、カケスよりは幾分小さかったが、黒い色の耳が頭上の両脇にピンと立って居る鳥を持って来てくれた…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 木菟と雑魚釣り 3の1 保君が罠で年寄カケスを捕ってからは、どうしたものか、桂の木へはもうカケスが飛んで来なくなった。 そうした或日、「カケスはもう此処へは来ないかも知れんぞ、あの年寄カケスが罠にかかったのを見て吃…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 カケス 7の7保君は、単にこのカケスを捕えてくれたばかりではなかった。と言うことは、罠でカケスを捕えた翌朝の学校で、廊下に整列をして、全校生が校長先生を待つ僅かな時間を利用して、「オイ、みんな、俺なぁ、義章さんが…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 カケス 7の6 「カケスはなあ、良く馴れると物真似をするようになるぞ。」と言って、保君は帰って行ったのだが、それは全くの事実であった。と言うことは、玄関を這入った土間の正面に、石油の空箱を台にして、その上にカケス…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 カケス 7の6 「カケスはなあ、良く馴れると物真似をするようになるぞ。」と言って、保君は帰って行ったのだが、それは全くの事実であった。と言うことは、玄関を這入った土間の正面に、石油の空箱を台にして、その上にカケス…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 カケス 7の5 保君と私が、出入口にぶら下がって居る莚の隙間から、じっと覗いて居ると、その内の一羽が罠の唐黍を狙って急降下をした。 その瞬間、私はハッと息をのんだ。するとその急降下をしたカケスが、「ギャ、ギャ、ギャ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 カケス 6の4 「明日は、罠を作って必ず捕てやる。」と保君は言って居たのだが、Y形の二本の木と萩の木二本が、どんな作用であの鳥を捕えるのかと言うことは、私には全然想像がつかなかった。 併し、私は「明日はかならず捕れ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 カケス 6の3カケスと言う鳥は、香川県にも居たかも知れないが、北海道へ移住をするまで、その名さえ知らなかった私であった。従って、私は似湾へ来て始めてその鳥の名を知って、その鳥の姿を見たものであった。その日も私は…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 カケス 6の2そうした保君は、間もなく駈け戻って来たが、その右の手には嘗て私が見たことの無い刃物を持って居た、その刃物は刃部の部分だけがピカピカ光って居て、母が野菜を刻む時に使う包丁に似た形の物であったが、どっし…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 カケス 6の1多盛老人の末子であった保君は、私と同年輩ではあったが、学校では早生れの私より一級遅れて居た。私の家の附近には、向いに多盛老人の家が一軒きりと言った関係が多分にあったが、学校から帰ると保君と私は、いつ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 椎茸狩り 2の2椎茸が沢山あるのは、主として此の急斜面であったが、其処には楢の木の風倒木と、地方の人達が薪を伐り出した残骸の捨木に芳香を放って黄褐色の椎茸が、無数に生えて居た。嬉嬉として生徒達が、楢の木の倒木か…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 椎茸狩り 2の1 その日は、私が似湾の学校へ転校してから、あまり日数がたって居なかったと思っているが、全校の生徒が校長先生の引率で、その山裾が校庭の木柵まで延びて居る裏山へ、椎茸狩りに行ったことがあった。 学校の…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 公立・ 似湾尋常小学校 2の2 私の席が在った教室は、「右向け前へ。」で這入ると、その正面が教壇であって、教壇に向かった右端の一列が六年生、その隣りが私達五年生の列、そして私達の左から二年、一年と言う順序に各一列…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 公立・ 似湾尋常小学校 2の1 新居で二夜を明かした私は、父に伴われて”公立似湾尋常小学校”と大書した門標の在る所から這入て当時は、只一人っきりの教員兼校長が居た職員室を訪れた。 この日が、北海道へ移住をした私の、…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾村の新居 5の5その当時の私は、生べつと言う所がどれ程の距離に在るのかと言うことは、全然意識して居なかったものであったが、村境の峠も越えて、凸凹の多い密林の道を、生べつへ、生べつへと、ひたすらに足を急がせた…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾村の新居 5の4 そうした多盛老人は、更に次の言葉を私の父へ「あんたが今頃北海道へ来て、簡単に成功をしようと思ったならば、それは大間違いだ、と言うことは一寸時期が遅過ぎたと私は思うんだが、と言って、絶対不可能…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾村の新居 5の3 私達の引越荷物は、丸亀駅から沼ノ端駅までが鉄道輸送、そして沼ノ端・生べつ間を荷馬車で継送される手順になって居たのだが、鉄道輸送は、貨物が人よりも可成り日数を要したので、私達が明日は似湾へ出発…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾村の新居 5の2 私達親子5人は、1週間の仮寝の宿であった生べつ小学校をあとに、新住の地となる似湾村へ出発したのは、明治45年の4月16日であった。そうして、私達が校門を出た時刻が、朝の6時頃であったように覚えて居る…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 似湾村の新居 5の1 それは、私達の家族が生べつ小学校に着いてホッとした翌日のことであった。そして校庭前の急斜面で失敗をした日の夜であったが、「あなた達が定住をする所は、隣村の似湾と言う村であって、今度鵡川村外七…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 生べつ村 3の3 その時自分が取った行動を、雪に無経験であったと言ったことが狼狽えさしたから、と言うことに藉口すれば、それで一応自慰することが可能かもしれないが、その往時を回想しては、「あの時の俺は馬鹿だったな…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 生べつ村 3の2 その生べつ小学校は、私たちが歩いて来た鵡川川上流の道から五百米程右に這入った小高い丘の上に在った。 小学校と言っても教室は僅か1教室、そしてその教室の横に只1人の先生でもあり、校長先生でもあった由…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 生べつ村 3の1 私達の目的地は、胆振の国の勇払郡鵡川村字生べつ村と言う所に在った小学校であったが、私達が1泊をした鵡川村本村の市街地から、その生べつ小学校へは、本村に川口がある鵡川川の上流へ約20粁程の道程があっ…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 移 民 3の3 岩見沢駅から、室蘭本線の列車に乗換えた私達は、終着駅室蘭との略中間に在る沼ノ端と言う駅に降りた。 その当時の沼ノ端は、駅前に12、3戸の家屋が在ったに過ぎない田舎であったが、私達の行かんとする、「鵡川…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 移 民 3の22 私達は、其処から黒潮の流れる津軽海峡を青函連絡船で、愈々北海道へ渡るのであったが、青森の港を出港して、海峡の中程を航行して居た連絡船の甲板から、「あそこに見えるのが北海道だぞ。」と、父が指さした…
履 歴 稿 紫 影子 北海道似湾編 移 民 3の1 父母を始め私達兄弟が、移民となって北海道へ渡った日時を父はその履歴稿に、 一、明治45年4月2日、午后7時、丸亀駅発、北海道移住 のため渡道の途に上れり。と、記録をしてあるが、此の時、北海道へ移住をした…
履 歴 稿 紫 影子 香川県編 屋 島 3の3 また、壇の浦は源平合戦の昔、梶原景時と、須磨の浦で逆櫓の争いをしたと言う源義経が一の谷の戦に敗れて屋島へ落ちて行く平氏を追った時に、荒天の激しい風波に流されて平氏の拠った屋島超えて志度と言う所に上陸を…
履 歴 稿 紫 影子 香川県編 屋 島 3の2 私達親子は、その茶店で一休みしてから更に頂上への道を歩いたのであったが、その道道「あの茶店を食わずの梨の茶店と言うのは、弘法大師と言う傑僧が屋島寺を開山しようと此の道を登った時に、それが杣夫の住んで居た…