Cameraと散歩

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210708 屋 島 3の3

IMGR067-10

履 歴 稿    紫 影子  


香川県
 屋 島 3の3


 また、壇の浦は源平合戦の昔、梶原景時と、須磨の浦で逆櫓の争いをしたと言う源義経が一の谷の戦に敗れて屋島へ落ちて行く平氏を追った時に、荒天の激しい風波に流されて平氏の拠った屋島超えて志度と言う所に上陸をしたのだが、却ってそれが幸運となって戦利を得たと言うことであったが、その時の平家方は、源氏の来襲は必ず此処からと言う作戦を立て、全船群を対岸の入江に待期させてあったそうであるが、潮流に流された義経の軍勢が志度から陸路奇襲をしたので、不意をつかれた平氏の軍は戦利を全く失って、長門の壇の浦へ敗走したと言うことであったが、史実に疎かった少年の私には、屋島の頂上から俯観する古戦場の眺望を只絶景だなと感じただけのものであった。

 その当時の屋島寺について私の記憶に残って居るものに寺内の雪の庭があるが、その庭は真白いろう石が、恰も積雪のように庭一面を小さな起伏で逼って居て、縁側に近い老梅からは四六時中ホーホケキョと鳴く鶯声が聞こえて居た。

 屋島寺に二泊をしたその翌朝、私達親子は山を降って丸亀に帰った。




IMGR067-20

 私が五年生になった新学期の4月2日には、私達親子が北海道へ旅立つことになって居たので、私は1日の始業式には出席をしなかった。

 それは、運送店の人達が5、6人で荷物を荷造って居る時のことであったが、始業式から の帰途を立寄ってくれた級友が、「先生がなぁ、学校休んだらいかん、言いよったぞ」と言ったので、「俺なぁ、もう城北へは行けんのだ。明日北海道と言う所へ行くんじゃからのう。明日学校へ行ったら、先生や皆によう言うといてつか」と伝言を頼んだのであったが、何とも言えない淋しさに涙が零れそうになったので、「さようなら」と言い捨てて私は奥へ駈け込んだ。

 その夜、寝床へ這入ってからも、「此の家で寝るのも今夜限りか」と思うと、それまで数回あった引越しとは違った感傷が、ひしひしと胸に迫って睡りにつくまで、蒲団の襟を噛んで密かに泣いたことを、時折思出しては感無量の私である。

 かくて、2日の夜私達親子は、近親知己の見送る丸亀の駅をあとに、汽笛一声、一路北海道へと、長途の旅路についたのであった。