Cameraと散歩

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220215 似湾村の新居 5の4

IMGR072-13

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
 似湾村の新居 5の4


 そうした多盛老人は、更に次の言葉を私の父へ「あんたが今頃北海道へ来て、簡単に成功をしようと思ったならば、それは大間違いだ、と言うことは一寸時期が遅過ぎたと私は思うんだが、と言って、絶対不可能とは言い切れない。
だから、往時私がやったことと、当然その方法は同じでは無いのだが、精神的には矢張り不焼不屈で無ければならない。
そして、どんな時でも『どんとこい』と言うきもったまで打突かって行く執念が必要ですよ。」と、忠告をして、部屋を出て行ったが、遂に成功者としての列に加わることを許されなかった私達としては、その反省をする都度、正に冷汗三斗の思いがする、現実の私である。




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多盛老人の旅館で一泊をした翌朝、宿の朝食が終ると、「さあ、表へ行ってこよう」と、独言を言って私は旅館の表へ出た。
その日は空は良く 晴て旅館の前から二百米程隔てた山の端から五米程の所まで昇って居た太陽が紺碧の空から和らかい春の光を大地に浴びせて居た。
郷里の香川県では桜花の満開季と言うに、北海道の四月は袷の着物に羽織を重ねた装いでは未だ肌寒かった。

 旅館の表に立った私は、四辺をずっと見廻したのだが、人家と言う物が全く疎であって、 旅館の附近には向いに私達の新居となる家が只一軒あるきりであった。




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 旅館の部屋を出る時には、只単に「よし、表へ行こう。」と言う以外には、何の目的も無かった私であったが、不図、私達の引越荷物が今日この似湾へ着くと言うことを思出したので、「よし、これから引越荷物を迎えに行って来よう。」という気になって、私は生べつの方向へ歩き出したのであった。

 私のこうした行動には、何故と言う程の深い意味は無かったので あったが、丸亀を出発してから、自分達の住む家が無いと言うことを淋しく思って居た私であったので、”引越荷物が来たならば、自分達の家に住める”と言った感懐がそうさせたものであった。