Cameraと散歩

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210911 生べつ村 3の1

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履 歴 稿    紫 影子  


北海道似湾編
 生べつ村 3の1


 私達の目的地は、胆振の国の勇払郡鵡川村字生べつ村と言う所に在った小学校であったが、私達が1泊をした鵡川村本村の市街地から、その生べつ小学校へは、本村に川口がある鵡川川の上流へ約20粁程の道程があった。

 私達親子は、1泊をした布施旅館から、その20粁の道程を徒歩で行かなければならなかったのだが、始めての土地なので不案内だからと言うことで、旅館の主人から案内人を雇って貰った。

 私達が宿の玄関を出た時には、既にその案内人は来て居たが、中年のとても健康そうな婦人であった。

 母が案内人の言うが儘に弟をその案内人に背負って貰って、私達が、旅館の玄関を出たのは朝の8時頃であったが、案内人を先頭に玄関を出ると、右に五百米程行った所から左に曲って、鵡川川の橋を渡った。




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 この橋から、直線の道は在ったのだが、二、三十米程行った所から右へ曲る道もあった。

 先頭を行く道案内の婦人が、その右への道へ曲ったので、私達は何の屈託も無くその婦人の後に続いた。

 それから、約1時間程は歩いたと私は思って居たのだが、太平洋の岸まで突出て居た小丘陵の頂上に登り着いた時に、「皆大分疲れたようだから、此処で一休みしよう」と、父が言ったので、一行がそれぞれ適当な場所を選んで路傍に腰を下ろした。

 その日はとても好天気であったのだが、南国に育った私には、冷冷として肌寒かったので早く歩き出せば良いのになぁと思って居たのだが、巻莨の朝日を口に喰えた父は、至極のんびりと構えて、四辺の景色を見廻して居た。




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 そうした父が突然、「こりゃ、おかしいぞ」と叫んで、着て居た二重マントのポケットから地図を取出して、急いでその地図を膝の上に開いた。

 私は、そうした父の様子が不審であったので、「お父さん、何がおかしいの」と言って父に尋ねた。
すると、「あれを見ろ」と路傍に立っていた四角い道標を指さして、「道が違うんだよ」と、父が言ったのだが、私には何が何だか全然その意味が通じなかった。
と言う事は、”あれを見ろ”と言われた道標には”これより日高の国云云”と鮮明に墨書されてあったが、その道標が私達にどんな関係があるのかと言うことも判らなければ、道案内の人が居るのに、”道が違うんだ”と言うことが、私を納得させなかったからであった。




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 私達に地図を示して、「この道を行くと日高へ行ってしまうんだ。」と、父に言われて、「ハハアそうか、すると道を間違えて居たんだな。」と、私は納得をしたのだが、其処から二岐道の所まで引返した無駄足にはガッカリさせられてしまった。

 この無駄足の原因は、案内の婦人も鵡川の本村へ移住してから日が浅かったので、生べつと言う地名は知って居たのだが、その行くべき道は全然判っていなかったと言うことの結果であった。

 併し、そうした地理不案内の婦人を、旅館の主人が何故雇ったかという疑問が起るのだが、それには次のような内容の事情があった。




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 旅館の主人が、私達の道案内として此の婦人を雇う時に、「生べつを知っているか。」と言って尋ねたそうであった。 するとそれを地名を知っているか、と言う意味に聞きとった婦人が、「知って居る。」と答えたので、旅館の主人は、”道を知って居る者”と安心をして雇ったことが原因であったらしかった。

 ヘトヘトに疲れた私達が、足を引摺りながら生べつ小学校へ行き着いた時刻を、父の履歴稿には、
一、明治45年4月10日、午後8時頃、北海道勇払郡生べつ尋常小学校内、由佐先生方着。
と、記録をしてあるのだが、その時は日暮には近かったが、まだ少々明るかったので、私は6時頃では無かったかと思っている。

 かくて私達は、9日間に亘った長途の旅行を無事に終って、目的地の生べつ小学校に辿り着いたのであった。