Cameraと散歩

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230412 木菟と雑魚釣り 3の3

IMGR075-17

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
  木菟と雑魚釣り 3の3
 

 私達が雑魚を釣りに行ったこの小沼は、その昔台地の下を流れて居た、鵡川川が残して行った残骸であって、それを言うなれば古川なんだ、と保君は言って居たのだが、雑魚は実に良く釣れた。

 その小沼へ糸を垂れた私達二人は、瞬く間に七、八糎程のヤチウグイ、ゴタッぺ、鰌と言った雑魚を、それぞれ二十尾程づつを釣りあげた。

 「もうよかべや、また明日釣りに来るべよ。」と言って保君は、素早くテングスを竿に巻いてから、傍の柳の木から適当な枝を二本手折って来て、二人が釣り上げては、地上へ投げ出して置いた、まだピチピチと跳ねて居るものもあった雑魚のえらを一連に刺しとうした。

 「オイ保君よ、実によく釣れて面白かったなぁ。」と私が言うのを、「なあに、まだまだ釣れる所があるぞ、いつか教えてやるわ。」と言いながら保君は、雑魚を一連に刺した柳の枝を一本私に手渡して、「さあ、帰ろうや。」と、釣竿を肩に担いで台上への坂を駆け登った。

 そうした保君に続いて私も駆け登ったのだが、帰りの道は肩を並べて口笛を合奏しながら、黄昏の家路をゆっくりと歩いた。




IMGR075-18

 木菟と言う鳥は、実によく餌を食う鳥であった。私と保君が交互に巣箱へ投げ込むのを、頭からペロッと一吞にしてしまうと言う状態であった。「オイ、もう良いべよ、十尾以上も食ったべ、あとは明日の朝やれよ。」と保君が言うので、残りの雑魚は明日の餌にと、私は残した。

 保君と私は、その翌日からは馬欠を持って行って、釣った雑魚を生かして持って帰るようにして木菟を養ったのだが、この木菟も、その年の八月には死んでしまった。

 それは明治大帝崩御の悲報が、日本国中に報道された翌朝のことであった。朝礼に整列した全校生に校長先生が、「天皇陛下崩御された。それで今日と明日の二日間は、生物を殺してはならんぞ。」と厳命をした。

 保君も私もその校長先生の話を鵜呑みにして、絶対の服従をしたので、二人はその二日間の雑魚釣りを休んでしまった。

 「生物を殺すな。」と言った、校長先生の教えを、忠実に守ったつもりの私達二人ではあったのだが、二日間餌をやらなかった木菟は、三日目の朝、私が巣箱を覗いた時には、嘗てのカケスと同じように巣箱の隅で骸になって居た。