Cameraと散歩

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230708 北海道似湾編  似湾沢 9の4

IMGR078-22

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
  似湾沢 9の4

 
 沢は上流へ登るに従って幅が狭まっていたが、流れが速くなって居たので、溪流の瀨瀬らぎは、ともすれば私達の話から声を奪うことがあった。

 また、その両岸には、楢、楓、桂と言った類の雑木が、連抱の大樹となって、うっ蒼と原始の儘の姿で林立して居るので、強い真夏の陽射しも、その葉裏を縫って、渓流に糸を垂れて居る私達の所までは届かなかった。

 私達四人は、家を出る時から皆が素足であったのだが、その素足でピチャピチャとその溪流をヤマベを釣りながら上流へ歩くのであったが、幾度も沢の岸から岸へ横断をして居た連抱の風倒木を乗り越えて遡らなければならなかった。

 その時の四人の少年の中には、時計を持って居る者は一人も居なかったのだが、その当時の世相としては当然のことであった。

 したがって、その時の私達が時刻を知ろうとする唯一のものは、太陽であった。
しかし、両岸の原始林がその太陽の位置を遮ぎって居るので、私達にはその時刻を知ると言う意識は全く無かった。

 私達兄弟にも、漸く慣れた釣りの技巧で、どうにか保君や浩治少年の域に近づいたので、時の過ぎるのも忘れて、上流へ上流へと夢中になって釣り進んだものであった。




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 ヤマベは、上流へ登れば登る程良く釣れた、したがって、技巧と呼吸の妙に拙ない私達兄弟にも、その釣り上げる数が、次第に多くなって居た。

 勿論、保君や浩治少年は私達兄弟の倍数以上を巧みに釣りあげて居た。

 盛んに餌へ跳ねてくるヤマベ釣りに夢中になって居た私達四人は、もう誰一人として話し合う者とて無く、只両岸のうっ蒼と茂った密林の何処からともなく、ホウ、ホウと聞こえてくる山鳩の鳴き声と、一段と激しくなった瀬瀬らぎの音以外には、静寂そのものと言う、溪谷の情景であった。

 私達四人は、更に上流へ遡ったものであったが、急に四辺がスーッと暗くなったので、「オイ保君よ、急に四辺が暗くなったがこれどうしたのよ。」と、私は彼に尋ねた。
すると、その時浩治少年が慌てた声で、「しまった。」と、私達が吃驚する程の大声で叫んだ。

 「オイ保よ、もう日が暮れたんだぞ、俺達早く帰らんと大変なことになるぞ。」と言ってから、「さぁ、あんた達、釣りを止めて早く竿をちゃんとしな。」と、私達兄弟を促して、テングスを釣竿に巻かした。




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 その時、弘治少年が私達に聞かせた話では、知決辺の道が峠になって居る山脈に陽が沈んだので、四辺が急に暗くなったので、と言うことであった。
そうして夜ともなれば、この沢には熊が出没すると言うことであった。

 私達は早々に帰り始めたのだが、益々度を増す闇色に遡った時には、「何糞、これしきの高さ。」と、威勢良く乗超えた風倒木も帰りには超すことの容易ならぬ障害物であった。

 ひたむきに足を早めた私達四人は、水苔に足を滑らせて水中に転倒をする者、沢へ突き出て居る木の枝に顔を叩かれて、「キャッ」と悲鳴をあげる者が続出して、実に惨めなありさまであった。

 そうした状態の私達四人は、熊に対する恐怖に戦いながらピチャピチャと浅瀬を踏んで下流へ急いだものであったが、釣りに夢中になって登った時には、爽やかな音律で私達の心を弾ませた溪流の瀬瀬らぎも、闇黒の密林から聞こえてくる梟の鳴き声と共に今は、無気味なものに感じて居た私達は、両岸に林立する老樹の葉鳴りにも怯えたものであった。