Cameraと散歩

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230910 北海道似湾編 似湾沢 9の5

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履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編   似湾沢 9の5

 それがどれほど下流へ戻ったかと言うことは、夢中で歩いて居た私には判らなかったのだが、突然、右側の密林から私達が恐れて居た熊がウオッウオッと、咆哮をし始めた。

 そうした熊の咆哮は、必ず木霊してその物凄い、そして無気味な餘韻を渓谷に残すので、この咆哮を聞く度に、私達四人は「また咆えたぞ。」と言って兢々として居たものであった。

 熊の咆哮に、戦々兢々として歩く私達であったから、先頭を歩く者は沢の中に転がって居る木の根株にも熊かと怯え、後方を歩く者はピチャピチャと浅瀬を踏む自分達の足音にも、熊が後から襲うのではないかと怯えろ状態であったから、誰からともなく順番を決めることになって、「オイ、今度はお前が先頭の番だぞ」と言うように交代をしあって、下流下流へと四人が必死になって歩いたものであった。




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 それもどれ程の所まで下ったのかと言うことは判らなかったのだが、私達を戦慄させた熊の咆哮も次第に遠のいて、無気味な梟の鳴き声もいつしか消えたのだが、渓流の水苔に足を滑らして幾度となく転倒をした四人は、その全身が濡鼠になったばかりではなくて、岸の木の枝や柴木に顔と言わず手足と言わず、容赦なく引掻れて居たので、見るも無慚な姿になって居たのだから、誰一人として声を出す者もなく、四人はひたむきに歩き続けたものであった。

 「オイ皆、十間橋に着いたぞ。」と、その時先頭を歩いて居た浩治少年が大声で叫んだ。

 それまで、只無我夢中でひたむきに歩いて居た私達は、その大声で叫んだ浩治少年の声に、ハッと意識を呼び戻してホッとしたものであった。

 「オイ、俺達は帰れたな。」と言って保君が、私の肩を叩いたが、「そうだ、俺達は帰れたんだ、そしてそれは確かなことなんだ。見ろよ、そこに十間橋があるじゃないか。」と、思った途端に歓喜の涙が私の頬を濡らして居た。




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 漸く辿り着いたのではあったが、その十間橋から渡船場への道は、もう此処まで帰れば大丈夫と言う安心感が、その咆哮に溪谷で戦いた熊の脅威もそして無気味な梟の啼き声も、今は遠い過去の思出と言った感懐になったものか、私達の四人は、「オイ、熊の咆声もの凄かったな。」とか「梟って奴、薄気味の悪い奴だな」と、無雑作に話しを交わしながら歩いた。

 その溪谷を歩いた時には、私同様泣面で必死になって歩いた筈の浩治少年もそして兄も保君も、すっかり元気づいて、「お前、何回転んだのよ。」とか、「お前が木の枝に打つかった時の悲鳴は半泣だったぞ。」等と言い合ってはドッと笑声が飛び出す私達四人であった。