Cameraと散歩

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170321 韓国人翁長

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変見自在 高山正之

  韓国人翁長


支那を囲む国々は気が向くと長城を越えて支那を蹂躙しにいった。

匈奴は漢を脅して食糧を貢がせ、ついでに四大美女の一人、王昭君を得た。
鮮卑は中原を制して唐王朝を建てた。
吐蕃はその唐の都、長安を攻め落として荒らした。
モンゴルがきて、暫く後に満州族もきて支那人を奴隷支配した。

支那人に言わせれば日本も彼らを文化的に支配したらしい。
彼らの憲法に遣う言葉の75%は日本がつくったものだ。



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そういう周辺の「四夷八蛮」がそれぞれに支那を支配した経験を持つのに、一番近い「我が朝鮮だけは中原を支配できなかった。なんと情けない国か」と儒学者の林白湖は嘆く。
理由はある。
朝鮮が歴史に顔を出した途端、日本や支那に支配され続けた。


並みの国は戦争して奴隷を得るが、朝鮮は勝ったためしがないから自国民を奴隷にした。
結果、世にも不思議な「自給自足的奴隷国家ができた」(黄文雄)。
奴隷は人口の40%を占める。
女も似たような境遇で、日帝支配まで名も与えられず、男児を産むと両の乳房を露出する奇習に生きた。



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資源も人材もない「見捨てられた国」の評はあまり良くなかった。
「民は無能で見栄っ張りで、努力を嫌う」(ゴンチャロフ)から、山野は荒れるに任せ、この国をさらに貧しくした。
「自らを改革する能力に欠けて」(イザベラ・バード)いるくせに気位だけは高く、妬みは強い。

格下の日本から独立を促されると支那に擦り寄って日清戦争の原因を作った。

日本が勝って、朝鮮を独立させると今度はロシアを呼び込んだ。
この国の生来の腰巾着根性が地域の不安定化を促し続けた。

それで日本はロシアとも戦う羽目に陥った。



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セオドア・ルーズベルトは太平洋を挟んだ日本について、「脅威を感じる」とアルフレッド・マハンに書き送っている。
その日本が日本海海戦でロシアに大勝するのを見た彼は1週間後に日露の講話を仕切ると言い出した。


彼は「脅威の日本」がこれ以上強くならないようロシアから一銭の賠償金も寸土の割譲もないポーツマス条約を押し付けた。
彼は『朝鮮を日本に押し付ける」(C・ショー『朝鮮独立を破壊した外圧』)ことも思いついた。

荷厄な国を背負い込ませれば日本は困惑し、疲弊するだろう。
事実もその通りになった。

国家予算の2割をつぎ込んで近代化してやったのに感謝するどころか、逆に「千年の恨み」を口にし、今も日本人の神経を逆なでし続ける。



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沖縄は朝鮮に似る。
琉球王朝北朝鮮と同じで、共産主義独裁を敷き、民を苦しめ、農地を荒廃させた。
見かねた島津藩が悪政を廃し、民は喜んだ。

明治維新後、鍋島公が県知事で赴任すると、琉球王は清に救援を乞い、英国にも直訴した。
ハーグ万国平和会議に直訴した李氏朝鮮と同じことを30年前にやっていた。



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先の戦争で米軍は沖縄を太平洋戦略拠点として総力を挙げて占領した。
アマーコストはその重要性を「宝石」に譬えた。

日本は懸命に守った。
特攻を繰り出し、戦艦大和も出した。
それを「捨石にされた」と恨み言を言う。

被害者意識は朝鮮の言う「七奪」より酷い。



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第3代の沖縄高等弁務官ポール・キャラウェーは沖縄を「日本も羨む高所得地域にする」と金融を支援し、医療環境も改善した。

しかし融資先は銀行の身内や顔役だけ。
いい医薬品は本土にみな横流しした。

米国の善意は特権と腐敗しか生み出さなかった。



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無能で見栄っ張りで努力もしない。
そのくせ口では自治拡大を叫ぶ。
キャラウェーは切れて「沖縄の自治など神話だ」と言った。



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気付けば日本は五輪を開くほど復活していた。
「驚異の再来」を見た米国はふとルーズベルトを思い出した。
そうだ。
荷厄介は日本に押し付けよう。
日本は困惑し、疲弊するだろう。

翁長は朴槿恵に似て、期待によく応えている。


’15.8.13・20の週刊新潮より

170311 朴槿恵大統領罷免宣告の記事

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3月11日の朝刊記事

10日、南スーダンPKO5月末めどに撤収することを国家安全保障会議が決定の記事が大きく、
同じく10日、韓国憲法裁判所が朴槿恵大統領(65)の罷免を宣告した記事が小さく並んだ。

朴氏は2013年韓国初の女性大統領として就任したが、罷免された韓国大統領も初めてで、大統領在任中は内乱罪などを除いて刑事訴追されない特権があったが、失職によって捜査当局は追及を強める見通しで,朴氏の逮捕や起訴に踏み切る可能性もあると報じた。



170315 戻ってきた日本人

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 変見自在 高山正之

  戻ってきた日本人


日本人は、戦争とは勝ち負けが決まった時に終わると思っていた。
だから日露戦争では負けを認めたステッセルを乃木がねぎらった。

彼が軍法会議で死刑宣告を受けると乃木はニコライ2世に助命嘆願して彼を助けた。
その乃木が殉死したのを聞いてステッセルは匿名で香典を送っている。



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それが戦争だと思っていたら、米国は違った。
負けを認めた日本にマッカーサーはまず報復した。

彼は敵前逃亡した。
その恥をかかせた山下奉文にマニラ大虐殺の罪を問うて絞首刑にした。
マニラ市民は米軍の爆撃で死んだ。
その罪を彼になすりつけた。

本間雅晴はパターン死の行進の嘘で銃殺刑にした。
本間がコレヒドール島への総攻撃を命じた4月3日午前0時53分に合わせて刑は執行された。



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陰湿で汚らしい報復をやったマッカーサーは日本人にも復讐した。
GHQに入るなり「吊るすべき戦犯38人を捕まえろ」と言った。
数字はリンカーンのスー族の殲滅戦に因む。
大統領は白人に抵抗した部族の長38人を処刑台に並べて一斉に吊るした。

彼はまた1500人の宣教師を入れ日本人のキリスト教化を図る一方で靖国神社の解体を図った。
カナンの地でバール神殿破壊を命じたモーゼを真似た。
彼はローマの脅威カルタゴを倒したスキビオも真似て日本に軍隊の放棄、交戦権の放棄を命じ、そう書いた憲法を押し付けた。



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日本人の心の解体にも取り組んだ。
それが「あの無謀な戦争を起こし、女や子供を災禍に巻き込んだ戦争責任者の追求」だった。
陛下と陛下を取り巻く重臣たち、軍部のトップ、さらに一兵卒に至るまで「残忍な侵略戦争を遂行したもの」として糾弾した。

でも日本人は女子供を巻き込む戦争などやったことがなかった。
まして出征した夫や息子を待つ家族の上に原爆を落として恥じない国なんていうのは今度の米国が初めてだった。

野蛮はお前の方だという批判はGHQが検閲と逮捕で口を封じた。
そんな恐怖政治も日本人には初めての体験だった。

かくて戦犯探しがあおられ、東条の孫由布子は「本名も名乗れず、兄は教室にも入れなかった」。
「藍より蒼き大空に」と「空の神兵」を作曲した高木東六は戦後、その歌から逃げ回った。



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マッカーサーはまた国家は国民の敵だと言った。
日本人は「政府が再び戦争の惨禍を招かないよう」(マッカーサー憲法前文)対決しろと吹き込んだ。

国民と天皇を戴く国家を分断する分割統治は転向した家永三郎や発禁を恐れる朝日新聞によって予想以上に徹底された。
洗脳は十分とみて天皇の巡幸が許された。
GHQは「眼鏡をかけた小男は身内を失い焼け出された人々から罵倒と投石を浴びる」と読んだ。

しかし焼け跡に立たれた陛下を人々はぬかずいて出迎え、目を潤ませ、声の限り万歳を繰り返した。
日本はまだまだ健やかなことをGHQは思い知らされた。
巡幸は中断され、徹底した洗脳が再開された。

欧米は民主主義と文化の担い手だと教え、だから残忍な日本人は英語を学び、キリスト教に改宗して真人間になれと。



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戦後70年経った先日の英字紙にテンプル大のデジャリク先生が
「日本人は文化や歴史を生んだ白人に尊敬の念もない」
支那韓国が欧米に憧れ、学ぶのに日本はそっぽを向く」
「他国と共通する宗教も言語も持たない」偏屈国家だとそしった。

GHQがあれだけ洗脳したのに気がついたら元の日本人に戻って自由に暮らし、それでノーベル賞もイグノーベル賞も取っている。
そう言えばサンフランシスコ講和会議でセイロン代表ジャヤワルダナは
アジア諸国は日本が自由であれと切望する」
「自由な日本は我々の憧れだったからだ」と言った。

日本はダメになったと愚痴る人がいる。
そう思わない連中は世界中にもっとたくさんいる。



’15.12.31""16.1.7"の週刊新潮より