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190502 徴用工訴訟 原告側が資産売却申請  日本抗議 報復も視野

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’10/05/02付北海道新聞朝刊4面の記事

徴用工訴訟 原告側が資産売却申請 日本抗議 報復も視野

韓国の元徴用工や元女子勤労挺身隊員らが日本企業に損害賠償を求めた訴訟で原告側は1日、すでに差し押さえた日本製鐵と機械メーカー「不二越」の資産の売却をそれぞれ韓国の地裁へ申請したと発表した。
一連の訴訟で資産の売却手続きが取られたのは初めて。
実際に現金化されるには数カ月かかる見通し。
日本政府は企業に実害が出れば韓国に対し報復措置を取ることも視野に入れており、同日韓国政府に抗議して対応を求めた。(上家敬史、ソウル幸坂 浩)




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原告側が売却手続きを申請したのは、2社が持つ韓国の関連企業の株式。

日本製鉄は9億7397万ウォン(約9700万円)相当、不二越は7億6500万ウォン相当の株式の売却を求める。

申請を受理した地裁が決定を下し、売却命令書が企業に送達されるまでには一定の時間がかかるため、原告側は「実際に現金化されるまで3カ月以上必要」とみている。

売却手続きは労働者の日であるメーデーに合わせて申請された。

また、三菱重工業の資産についても差し押さえを進めるため、同社に対する財産明示申請を行ったことも発表された。

今後も日本企業の資産差し押さえや売却手続きだ相次ぐ可能性が高い。




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原告側の発表を受けて日本政府は1日、戦後補償は1965年の日韓請求権協定で解決済みとの立場から、外交ルートを通じて韓国政府に抗議した。

菅義偉官房長官は1日夜のBS番組で「極めて遺憾だ、関係企業と緊密に連携し、企業の利益を守るべくしっかり対応をしている」と述べた。

今後は韓国側への報復措置も視野に入れた対応策を検討しながら、韓国政府の出方や国内世論の動向を慎重に見極める構え。

日本政府関係者は報復措置のタイミングについて「資産が現金化され、日本企業に実害が生じた時点」と述べた。




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日本政府は当面、請求権協定に基づく2国間協議に応じるよう韓国政府に求める方針だが、韓国側はこれまで「民事訴訟に関与するのは適切ではない」(文在寅政権関係者)として、政府間協議に応じる姿勢を示していない。

日韓外交筋は「日本国内の韓国批判の高まり次第で、資産の現金化を待たずに報復措置に出る可能性もある」と話した。




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韓国の戦後補償訴訟

日本の植民地時代に徴用などで労働を強いられたとして、韓国人の元徴用工や元朝鮮女子勤労挺身隊員、遺族らが日本企業に賠償を求めた訴訟。
日本政府は韓国人の個人請求権問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みとの立場だが、韓国最高裁は昨年10、11月に、同協定では強制動員被害者の損害賠償請求権は消滅していないと判断、日本製鉄(当時新日鉄住金)と三菱重工業に賠償を命じる確定判決を出した。
不二越を被告とする訴訟を含め下級審で同様の判断が続き、4月には追加提訴も行われた。(共同)



190712-180502徴用工訴訟原告側が資産売却申請

190501 賠償命令確定半年 「徴用工」対応策 示せぬ韓国 

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’19/05/01付北海道新聞朝刊9面の記事

賠償命令確定半年
「徴用工」対応策 示せぬ韓国


【ソウル幸坂 浩】韓国最高裁が日本企業に元徴用工や元女子勤労挺身隊員らへの賠償を命じる確定判決を始めて出してから、30日で半年がたった。

日本政府は「問題は解決済み」として判決に反発し、日韓請求権協定に基づく協議を韓国政府に要請。

韓国も独自の対応策の検討も続けるが、結論は示されず、事態打開の糸口は見えない。

原告側は日本企業の資産を差し押さえたものの、売却には踏み切っておらず、韓国政府に適切な役割を果たすよう求める声も上がっている。




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内政問題響き、原告いら立ち

「被害者の高齢を考慮すると(資産の)現金化を遅らせる限界に来ている。このことを日本企業だけでなく、韓国と日本の両政府も明確に認知すべきだ」。

日本製鉄(旧新日鉄住金)などを相手取った訴訟の原告は3月末に声明を出し、日本側の責任を追及するだけでなく、事態打開に向けた動きが見えない韓国政府への不満も表明した。

4月29日には元徴用工らが日本企業9社を新たに提訴したが、原告側は記者会見で、元徴用工に対する未払い賃金などについて「韓国政府が解決してほしい」と求めた。

一連の原告団の中には日韓両政府が請求権協定に基づく協議の開始で合意するなら、被告企業の資産売却は留保できるとの考えを示した弁護士もいる。

原告側が差し押さえた資産を売却しない背景には、日本政府が日本企業に実害が出た場合にはビザの発給停止などで報復すると示唆していることがある。

報復措置が発動されれば、双方の経済に大きな影響が出るのは必至だ。

にもかかわらず文在寅政権が明確な方針を打ち出さないのは、一連の訴訟には内政問題の側面があるためだ。




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韓国政府も以前は、1965年に結んだ日韓請求権協定に基づき、被害者を救済する「道義的な責任」は韓国側にあると判断していた。

だが、文政権関係者は「最高裁判決が出たことで状況が変わった。司法判断は尊重せざるを得ない」と話す。

文政権が対日関係より国内の保守勢力との対決を重視していることも、問題を複雑化させている。

韓国国内では前最高裁長官が、元徴用江蘇省の確定判決を前朴槿恵政権の意向で遅らせた容疑などで逮捕されたが、文氏は1月の記者会見で「状況が整理されるのを見守り、判断しなければならない」と指摘。

こうした内政問題が片付く前に日韓関係の対応策を示すのは難しいとの認識だ。

日韓双方が姿勢を変えない中、文氏は6月に大阪で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会合に出席する意向を示してるが、日韓首脳会談が開かれるかは不透明。

交渉の進展は望み薄で、今後、しびれを切らした原告側が日本企業の資産売却に踏み切れば、日韓関係がさらに泥沼化する可能性もある。




190704-190501徴用工対応策示せぬ韓国


190705 香川県編 丸亀の新居

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履 歴 稿    紫 影子

香川県

  丸亀の新居


丸亀市へ転居した父母と私と言った3人が引越した新居は、殆んど市の郊外に近い所に在って、その家の玄関を通り過ぎて左へ30米程行った所が、丸亀歩兵第12連隊の練兵場になって居た。

しかし、その練兵場の面積がどの位の広さであったかと言うことについては、全然判って居ない私ではあるが、相当広い練兵場であったなと今に思って居る。
私達家族が引越した新居は、明治維新前には丸亀藩武家屋敷であった所であって、6畳間が2室と8畳間が2室、そして10畳間が1室に台所と言った間取で西向きに建てられて居た。
また裏には土塀を廻らしてあった。




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私達の家族は、その家に3年程住ったのだが、玄関から裏口へは土間続きで通り抜けられるようになって居て、玄関を這入った所の土間の広さが1坪であったように記憶をしている。

また間取の状態はと言えば、玄関を這入った土間の左側に6畳間があって、その右隣が同じ6畳の茶の間であった。
そうして、母と私の居室であった8畳間は、この茶の間の奥に在って、台所は、茶の間の右に隣っていた。

そして、玄関から裏口へ通り抜けられる土間は、この台所が喰み出て居たので、私達が1人辛うじて通り抜けられる程度にまで狭められて居た。




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玄関の6畳間の奥には、もう一つの8畳間があって、その右に隣った東向きの10畳間が父の居室であった。

父の居室の縁側から家の裏側に廻らしてある土塀までの間に在った30坪程の面積が、小規模ながら一応庭園の様相を形造って居て、其処には、奇岩巨石を配した築山と泉水があった。

父の居室は、縁側から這入った右側に1間の床の間があって、その左隣が1間の違い棚になっていたが、その違い棚の上部と下部の文庫戸棚には、江戸時代の田園風景を描いた小襖を使ってあった。




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また、その居室と縁側との境には、幼ない私にも”綺麗だなあ”と思わせた障子を使ってあったが、床の間からの1間には細い竹を風流に編んであった円形の窓を中央に、そしてその周辺をキラキラと光る砂状のものをチリバメた黒色の壁になって居た。

また、上部の欄間には天女の彫刻がしてあった。

私と母の居間は、他の各室よりも2尺程高くなって居たので、茶の間からと、そして父の居室からの出入りには、それぞれ踏段が設けてあった。

父の居室から私と母の居室へは、縁側を右に突当たった所に私達母子の居室に隣った茶の間の壁があって、其処を左へ曲がって踏段を上がると、其処は縁側になって居た。
そしてその縁側と私達の居室との境には、父の今のそれと同じように凝った障子が使われて居た。




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また、縁側には欄干が設けてあった。
そしてその縁側の真下にあった泉水には、機種類かの小さな金魚が、いつも楽しそうに泳いで居た。

父の居室から縁側を左へ2米ほど行った所に、御影石で造った古風な手水鉢があって其処に一株の南天が植わっていた。

この南天の木は、その結実の季節ともなれば、真紅の実を沢山つけてとても美しかった。

また正面の築山には、亭々と他の樹木を凌駕した1本の五葉の松があって、その五葉の松と、他の赤松や黒松、そして椿、ツツジと言った木々や、苔むした奇岩や巨石との調和がとても雅趣に富んで居たので、狭いながらも、風情豊かな庭園であったと、後年の父がよく口にして居た。



撮影機材
Nikon New FM2